小倉正志コラム 「画人日記」 2007
絵画家 / 小倉正志「画人日記」 (第73回-82回)


2007年 画人日記(第82回)   「 荒野のグラフィズム 粟津潔展 」

場所/金沢21世紀美術館
日時/2007/11/23(金・祝)〜2008/3/20(木・祝)
主催/金沢21世紀美術館[(財)金沢芸術創造財団]

  金沢21世紀美術館は建物の形が円形で、美術館として評価する人とそうでない人に分かれ、自分は評価する方に入る。さて、今年になってこの展覧会の情報を知ってから、始まるのをかなり楽しみにしていた。粟津潔と言えば、自分の世代では、憧れの作家で、学生時代に大阪の高島屋デパートのホールで福田繁雄との対談のイベントに参加した。
  現代アートの草分け的存在として、広告や演劇、映画、書籍の装幀など、粟津ワールドを縦横無尽に表現し、同時代のジャンルを超えたクリエイターとのコラボも多種多様。粟津潔と言えば、まず思い浮かぶのが、指紋をモチーフにした展開であったり、地層の断面図のように、細い線模様のバリエーションがある。
  粟津潔の何が面白いのかと言うと、古きものをテーマとしながらも、表現された作品は、とても斬新さを感じるのである。自分も25年程前に、はじめて粟津潔の作品を見た時に感じた斬新さが、時代が変われば、インパクトは薄れるだろうと思った。ところが、金沢21世紀美術館でこうして粟津ワールドに触れてみると、そんな思いは吹き飛び、強烈にパワーのある作品であることを知った。
  現代アートは、映像がメインとなっており、洋画科という扱いでは時代に対応できないような声もある。これは、自分達の世代と、デジタルが主流の世代との差であり、自然な時代の流れと言えるのではないか 。



  粟津潔の表現は、久しぶりに作品を前にして、デジタルであろうがアナログであろうが、表現手段に束縛されない、自由な感性の表現が伝わってくる。
  この展覧会は、会期も2008年3月までと長期に渡り、作家自身のコレクション1500点を金沢21世紀美術館に寄贈したことを記念に開催されたもので、そのすべてを見ることができるのはこの機会だけかも知れない。会期中イベントやワークショップも多彩で、参加したいイベントに合わせて金沢へ行くのもいいだろう。とにかくアートやデザインが好きなら、粟津ワールドに見入ってしまうことは間違いない。
  50年代〜60年代を一つの現代アートの頂点とするなら、現在の状況は、この時代への回帰と言うよりも、価値観のシフトと言えるのではないだろうか。90年代に入り、現代アートはグローバル化する時代の中で、方向性を見失ったようにも感じたが、最近は現代の視点から未来へと向かう方向性を、様々な作家の作品から感じることがある。
  展覧会のタイトルの「グラフィズム」と言う言葉は、まだ日本にグラフィックと言う言葉が浸透していなかった頃に、粟津が使った言葉である。グラフィックとは大衆の視覚を刺激し、誘惑するものだと思う。粟津潔の作品は、本質的に素直な面白さがあるので、大衆に共感を呼ぶであろう。図録もなかなか良いので、おすすめです 。






2007年 画人日記(第81回)   「 池田満寿夫の版画 」

場所/京都国立近代美術館
日時/2007/11/20(火)〜12/24(月・祝)
主催/京都国立近代美術館

  今年、京都国立近代美術館に800点に及ぶ池田満寿夫の作品が寄贈された。池田満寿夫の活躍は、アートの領域を超えて、芥川賞を受賞するなど文学にもその才能を発揮し、TVでもバラエティ番組やコメンテーターとして発言するなど、広く親しまれてきた作家である。
  現在は、こうした池田のようなタレント的作家も珍しくはない。亡くなってから10年ほどになり、今再度、本来のアーティストとしての池田満寿夫に焦点を絞ってみたいと思う。自分も高校3年の時に美術出版社発行の画集で池田満寿夫の作品に触れて、新鮮な衝撃があったことを今でも覚えている。
  1人の作家の作品の歴史を見ると、優れた作品、傑作を生み出す時期があり、また逆に駄作や凡作の時期があるものだが、池田に関しては、「前期は傑作、後期はダメ」という 意見が一般的である。私自身もそう思う。今回の版画展を見てその理由が自分なりに確認できたようだ。初期の作品、50年代から60年へと、池田は、日本の前衛美術の先駆者の瑛九(えいきゅう)からデッサンや造形理論を学び、さらに彼の才能に注目した瑛九は版画を勧めた。池田はエッチング、ドライポイントなどの技法を用いて、次々に傑作を発表した。この時期の池田満寿夫の作品を賞賛している作家村上龍の言葉も、昔見た美術出版社の画集に掲載されていた 。



  池田は何といっても画面を走る鋭い線の魅力が大きい。動物や人物をモチーフにしながら、自由奔放に描く池田満寿夫の世界は、当時の日本の美術界に版画の魅力を広めることに多大な影響を及ぼした。1966年にベネチアビエンナーレの版画部門で大賞を受賞するなど、池田満寿夫は一躍時代の寵児となった。今回も傑作多発の50年代〜60年代の作品が多く展示されていたことがうれしかった。
  池田満寿夫が国際的に高く評価される理由の一つに、エロスの表現がある。作品としては70年代中期のダークな色彩のビーナス・シリーズが個人的には池田満寿夫の表現の完成形だと思っている。本人にしか分からないことだが、1977年に「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞した時期の前後から彼の作風が変わったような気がする。それはより自由奔放に作風が進化したことは事実である。だがしかしそれが傑作であったとは思えない。この会場で、特にエッチングなどの銅版画作品と、リトグラフの作品を比較すると、線の表現の違いがはっきりとして、リトグラフでは、作品の完成度が低い気がする。ピカソやマチス、ミロのように表現手段が変わろうが傑作を生み出す才能は、やは
り凄い。それは作家のオリジナリティの部分で一本大きな筋が通っているからではなかろうか。私はそういう意味でジャンルは違うが、ビートたけしの才能は凄いと思う。最近見た新聞記事の発言で、お笑い、映画、役者ときて次は現代アートの世界に挑戦したいと意気込んでいた。これはかなり注目したい発言である 。







2007年 画人日記(第80回)   「 勅使河原 宏展 生誕80周年 」

場所/埼玉県立近代美術館
日時/2007/7/14(土)〜10/8(月・祝)
主催/埼玉県立近代美術館、財団法人草月会

  草月流家元の勅使河原宏が亡くなってから7年の今年、回顧展が埼玉県立近代美術館で開催された。
  勅使河原宏は現代アートの先駆けとして戦後の日本で活躍し、その活動は世界的にも高く評価され、映画監督としても著名である。
  会場は、華道の草月流家元としての作品、書、陶芸、竹などを使ったインスタレーション、映像、学生時代の絵画などがジャンル別に展示されている。
  一つのジャンルにルーツがあったとしても、突出した才能を持つアーティストは、その領域を超え、自らの表現世界を拡げていくことが多い。勅使河原もその一人である。会場のエントランスには、竹を使ったインスタレーション作品がアーチ状に組まれ、その中を通り抜けていく趣向になっている。
  最初のコーナーには、生け花作品の年代別の代表作品が並ぶ。初代家元の勅使河原蒼風は、独自の解釈による大胆な表現様式を確立し、当時の華道界に異彩を放ち、今日の草月流の基盤を築いた。その精神を受け継いだ勅使河原宏は、さらその芸術性を高めた表現を生み出したと言えるだろう 。



  戦後の50年代〜60年代のアートシーンをリードした「草月アートセンター」のディレクターとして様々な活動に力を発揮した。草月アートセンターに関係した人物では、安部公房、瀧口修造らの存在を抜きにして語ることはできない。現代アート、ジャズ、実験映画など、日本の現代アートのルーツ的表現活動が行われていた。数年前、この草月アートセンターでの活動ぶりを紹介する書籍が出版され、当時のアートシーンへの関心の高さを知ることができる。
  アートは社会と連動した表現であり、優れたアーティストやグループが活躍すれば、それらを支えるスポンサーの存在が不可欠となってくる。華道「草月流」は草月アートセンターを拠点とした活動を通して、戦後日本の現代アートの活性化に貢献した。
  勅使河原宏は50年代以降、ドキュメンタリー風の短編の映像作品を制作、傑作を残した。作家としての長篇第1作が「おとし穴」。この作品はアートシアターギルド(ATG)の邦画1作目の記念すべき作品となった。そして1964年、安部公房原作の「砂の女」を発表。カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞、世界的に高い評価を獲得した。
  会場のスペースに目一杯に繰り広げられる木を使ったインスタレーションや、野外で制作された竹を使った巨大な造形表現には、このアーティストのエネルギッシュで時空を超えた表現に圧倒される。わたしは市販されていた勅使河原宏の映像作品を収録したDVDBOXセットを購入し、多くの作品を見ることができた。このページをご覧の方も機会があれば、レンタルDVDやビデオで入手して見てみるのがいいいだろう。勅使河原宏というアーティストの素晴らしさが納得してもらえると思います 。







2007年 画人日記(第79回)   「 安齊重男の “私・写・録”1970-2006 」

場所/国立新美術館 企画展示室2E
日時/2007/9/5(水)〜10/22(月)
主催/国立新美術館

  六本木は日本経済のシンボルのような街だ。この付近の乃木坂に昨年、国立新美術館が誕生した。話題の東京ミッドタウンからも近い。
  ようやくここへ行くことになった。展覧会は「安齊重男の“私・写・録”1970-2006」。安齊氏は60年代頃から主に現代美術の現場を撮影してきた写真家である。展示会場に入るなり、その写真点数の膨大な数に圧倒され、一つ一つを丁寧に見て行けば、半日はかかるだろうか。
  会場スペースの巨大な空間の壁面に年代順に展示された作品群。中央スペースには作家の特大サイズのポートレートが印象的だ。
  ホックニー、バスキア、ウォホールなど世界的なアーティストの素顔が並ぶ。この30年〜40年ほどの間に登場した作家の活動の現場を画像データとして保存し、今回発表の機会を得たわけである。
  それぞれの作家と向き合い、個性を感じさせる表情を捉えることは、写真家が如何に執着し、集中力を高めていなければ可能にはならないことである。作家の人間性に迫る貴重なデータとして、大変意義のある企画展になった 。



  この膨大な画像データを通して発見出来たことは、戦後現代美術の国内外の動向を集約して知ることになり、特に70年代〜80年代へのシフトする作家とその状況を自分なりに思索することができてよかった。最近は、60年代、70年代のアートの良さを再認識することがマスコミでも多いようだが、美術にしろ、音楽にしろ、文学にしろ、この時代の作家の魅力は褪せることがない。ではなぜ飽きられることなく、現在も生き続けている理由は何か。それはキャラの強い人間的な作品が存在したからではないかと思う。

  まだインターネットも携帯電話も無い時代。世界も日本も現在のようにシステム化されていない、あいまいであり、規制も弱かった時代。いい意味で人間的であった時代ではなかろうか。安齊重男は、作家の側に寄り添いながら、その作家が放つ一瞬の本音の表情を捉えたのだ。現代アートにおけるドキュメンタリーの現場を、安齊重男は現在も撮り続けている。
  そして、デジタルが主流の現代の状況も、またこの先への予感も感じさせる写真が会場の壁面を埋め尽くす。展覧会の作品に登場する人間(アーティスト)が生み出した作品は、人間の生きている証であり、社会やこの世界へのメッセージでもある。会場を歩き回りながら「人間は面白い生き物だ」と感じた。今回の展覧会は、一人の写真家の仕事を通して我々に「創造する人間の生きる現場」を美しく、ユーモラスに見せてくれた。
  現代は、いろんなところで歪みが起きて、息苦しい時代。だが、こうした時代の中も、アートは常に進化し続けているのだ 。





2007年 画人日記(第78回)   「 巨匠と出会う名画展 」

場所/兵庫県立美術館
日時/2007年7月28日(土)〜10月8日(月・祝)
主催/兵庫県立美術館 朝日新聞社

  川村記念美術館の場所は千葉県。都内からでも往復の移動時間と観覧時間を合わせると、半日はかかるほどの遠方にある。印刷関連の大企業である大日本インキ化学工業株式会社が運営する日本でも貴重なコレクションを誇る美術館として知られている。
  そのコレクションの全貌が関西初公開とあって話題性は充分である。ルーブルやニューヨーク近代美術館など、世界的な美術館のコレクションも素晴らしいが、国内の美術館にこれだけの世界的アーティストの作品が一堂に揃っていることは希であり、関西の美術ファンが多数駆けつけることは間違いない。
  まずはトップに展示されている有名なレンブラントの肖像画「広つば帽を被った男」と対面することになる。このあとに続くのはモネ、シャガール、ピカソ、マン・レイ、ポロックなど20世紀アートのスターばかりの連続である。 どうせ休日はかなりの人が押し寄せるから、時間に余裕があれば、平日に訪れてみるのがいいだろう。20世紀アートを検証しようという意気込みで館内を見て回るのも面白いと思う。
  思うに、20世紀の前半から戦後の数十年間は現代アートのアイデアが凝縮された時期で、21世紀の現在から考えても新鮮であり、今日のアートの源泉があることが分る。西洋の絵画の長い歴史から解放され、それは印象派の活動にも顕著に現れているが、アメリカを中心とした現代社会の大き転換が、アートの概念も変貌させることになった 。



  私も会場も一巡してみて、別の機会にもう一度来たいと思った。これらの作品に囲まれた時間の流れの中にいたいと思わせるほどのインパクトがあった。作品は同じでも、時期や、自分をとりまく環境が変われば、再び作品と対面して感じるものも変わるのである。
  展示作品の最後に日本の尾形光琳や横山大観らの作品があった。おそらく、それは日本の作品が世界的にも影響を与えていることの証明として、他の作品と同列で展示されていたのであろう。ポロックやウォホールの作品と日本の淋派とが同じ場所に存在することで、もはや歴史の縦軸だけで語る歴史観だけでは意味がなく、柔軟なアートの楽しみ方を提案しているように思えた。
  教科書的な説明はもはや不要で、アートを楽しみ側は、情報に惑わされる事なく、アートと触れる機会を増やして、自分なりのアートの哲学を確立する事が望まれるのだ。その中で、楽しむ方法も広がっていくことだろう。
  今まさに日本のアートシーンも変わりつつある時期なのだと思う。その動向をこれからも作家という立場から見ていきたい 。




2007年 画人日記(第77回)   「 没後10周年麻田 浩展 」

場所/京都国立近代美術館
日時/2007年7月31日(火)〜9月17日(月・祝)
主催/京都国立近代美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪、京都新聞社

  一度はどこかの美術館で見たことがあるかも。そんな思いで今回回顧展という形で、実際に麻田浩の作品を一堂に目にした。1983年には京都市立芸術大学の教授となり1995年には京都市・京都府の文化功労賞にも選ばれた。展示作品から年代順に見ていくと、内面世界の完成された世界観が画面に描かれ、品格のある画風が印象に残る。1931年〜1997年の間の生涯、この時代に生きた人間なら誰しも共有する価値観を無視することはできない。明治から続く西洋の影響と、戦後の新しい時代の動勢という、時代の分岐点と対峙することになる。
  心の原風景としての麻田浩の世界観は、現実から乖離したものではなく、現実の人間世界を表現したものである。作品には、現代社会の深層を鋭く捉え、ダークな色彩と空気感が覆い尽くし、展示作品には書籍の装画関連コーナーがあり、ここでは麻田の作品世界とコラボレーションした松本清張、中上健次らの文庫本や単行本の装画作品があった。自分も松本清張の「ゼロの焦点」で、過去に麻田浩の作品を見ていたのである。
  まだ一般的には知られていない麻田浩ではあるが、作家は世に広く名を知られることは喜ばしいことだが、時代を超えて作品そのものが残る、語られることの方が誇りに思えるのではないか。今回の回顧展で観覧者にも、この作家の力量が伝わったことであろう 。



  麻田の作品にはヨーロッパのクラシックな絵画からの影響や、写実画の描画方法が感じられる。麻田は同志社大学経済学部在学、その後1963年はじめての個展開催を機に画業専念することを決意、この年ヨーロッパを旅行。1971年に再度渡欧した麻田は11年におよぶ滞在期間、この間に麻田の作品世界は確立と充実を示し、「原風景」「原都市」と題された作品で、独自の心象風景を表現した。
  現代社会は、外面的にはテクノロジーの発達により世界の都市がネットワークで結ばれ時間の密度も高まっている。スピードとより質の高いパフォーマンスが求められている。そうした同時代のステージの裏側には、希望のある未来とは対照的な都市の忘れ去られた姿がある。経済優先の世界に必然として存在する情景だ。こうした情景は、メディアでスクープされ、問題提示される。
  麻田浩は21世紀を体験することなく世を去った。だからあのニューヨークの自爆テロも知らない。麻田が生きていたなら、ニューヨークの事件に衝撃を受けて、きっと作品を制作したに違いない。
  会場で作品を見ていると、その内面を感じようとするせいか、作品の魅力に引き込まれ、回顧展全体を見るのに、1時間30分以上を費やした。今年見た中で、強く心に残る展覧会の一つであった。まだ9月中旬まで開催中です。暑い中、ぜひ美術館へ出かけてみてください 。




2007年 画人日記(第76回)   「 国際招待ポスター展 」

場所/大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室
日時/2007年4月28日(土)〜6月24日(日)
主催/大阪市(近代美術館建設準備室)、大阪芸術大学

 グラフィックデザイナーの展覧会は、今までも何度も見てきたが、デザインの分野は特に制作時期と連動する時代感覚が作品にストレートに表現されていることが多い。今回のテーマは「ポスター」。中でも「ポスター」はグラフィックデザイナーの仕事としては、やりがいのあるもので、そのデザイナーの力量が問われる。
  久々に見たポスターの優れた作品を前に、各作家の個性が輝いていた。500円でこれが見られるとは、大変お得な気分である。
  21世紀に入ってモバイルやインターネットが日常化し、アートやデザインの垣根がなくなりつつある、というよりもそれは表面だけのことだと私は思う。個人的にアートとデザインを定義するとこうなる。アートは作者の意識を核とし、それを発信源とする作品である。これに対して、デザインは、作者が社会や人間に対してのメッセージを意図的に表現する作品である。
  つまり、デザインは見る側とのビジュアル・コミュニケーションを意識した作品になるのだ。ポスターを見た瞬間に、伝えたいことが伝わるか。これが不完全であれば、そのポスターそのものの存在価値は無意味となる。
  会場に並ぶそれぞれのポスターは、かなり個性が強いし、とにかく人の関心を向けることになる。そして次の段階として、ではポスターのメッセージは何なのか。自然と見る側は文字やビジュアルを意識する。このときに、意味をに解釈する時間を与えることを見る側に要求するなら、ポスターのインパクトは弱くなる 。



  会場の作品には、それぞれポスターのテーマが作品のそばに表示されている。でも日本人以外の作家のポスターも言葉が理解できれば、もっとそのポスターが衝撃的なものかも知れない。招待作家の出身国も、アルゼンチン、アメリカ、イスラエル、スイス、スペイン、ドイツ、日本、ハンガリー、フランス、フィンランド、香港、メキシコ、ロシア。まさにグローバルな感覚が集まった国際的なものとなっている。
  だから表現も、十人十色で、ビジュアルだけのシンプルなもの。言葉のインパクトを強調するもの。写真表現に特色があるものなど、自然とそれぞれの作品をじっくりと見てしまうことになるだろう。これらのポスターが、実際に街で掲示されているときに、一瞬その前を通り過ぎただけなら、自分は関心を示すだろうかと自問自答する。
おそらく周囲と異質なものとして、印象に残るに違いない。実際、我々でも、ターミナル駅などにあるポスターを見たら、記憶に残るときがある。
  日本ももうすぐ、今年注目の国政選挙が控えているが、伝えたいことをどう伝えるのか。シンプルで大胆かつユニークな表現。これに尽きるのではないだろうか。あとプラスすとしたら誠実さだろうか。
  変な言い方をすれば、ビジュアルデザインは視覚による誘導であり、気持ちよくだまされるか、そうでないかと言ってもおかしくはない。会場のポスターを見ながらこうも思った。サッカーのワールドカップでは日本はもう一つだけど、デザインのワールドカップでは、なかなか面白い展開がこれからも期待できると言うことでした 。





2007年  画人日記(第75回)   「 大エルミタージュ美術館展 」

場所/京都市美術館
日時/2007年3月14日(水)〜5月13日(日)
主催/京都市美術館、読売テレビ、読売新聞大阪本社
エルミタージュ美術館

  巡回展として春の京都で開催されたエルミタージュ美術館展。15世紀から20世紀にかけての絵画の名作が集まり、期待を裏切らない内容となった。なによりも世界の代表的な美術館の収蔵作品がテーマなので、展示スペースももっと大きく使うのかと予想していたが、個人的にはこのくらいで充分満喫できた。平日ということもあり、来場者数少なめ。年代順の展示に合わせて見て行く。
  15世紀頃というと、まだ社会は封建時代で、画家とパトロンでもある権力者との関係ははっきりとしたものがあった。エルミタージュ美術館のコレクションは、1764年、ロシア女帝エカテリーナ2世が、ヨーロッパ近代国家の様子を探るための手段として始まった。
  20世紀の中頃はまだヨーロッパ諸国が世界をリードし、力を誇示していた時代であった。その中で画家も、大きな権力を無視することは出来ない、というよりもその力を利用しながら、自らの存在感を強めていった。
  この展覧会は「都市と自然と人間」をテーマとしているが、内容的にもよくまとまっていたと思う。個人的には、従来のこの年代の風景画を見る目とは違う視点で見ることができた。画家が描きたかったもの何なのか。歴史や当時の様子、作品解説を参考にしながら、作品を見ていると独自の解釈が生まれた。この時代の作品は、美術の教科書にも登場しそうな作品で、一種のカリスマ性を備えている。だからこそ魅力的なアートとして輝きを放っている 。 



  アートの世界に限らず、TV番組でもそうだが、歴史上の出来事やカリスマ性のある人物を取り上げる番組は視聴率も高い。ここ数年の美術の展覧会もこの流れに沿って、いい意味での、作品や作家がフィクションからノンフィクションの世界へと導かれているように思う。真実を知りたいという人間の心理を誘導し、メディアミックスによるプロモーションに成功するというシステムに成功すれば、動員数もアップする。名作を如何に魅力的に演出するかが、マネーを生むヒントでもあるのだ。
  会場でみた風景画と都市や人物画は、21世紀の今、モチーフとして大部分が存在しない。社会の状況が変化し、同時代のテーマが明らかに違うからだ。権力者の肖像画や、一人部屋で佇む裕福な女性。一部の富裕層のものであったアートは、現代人が客観的に見て楽しむ対象へと風向きが変わった。
  会場の後半には、ゴーギャンの有名な南国タヒチで描いた女性達の作品「果実を持つ女」がある。これを見ていると、それまでのヨーロッパの絵画にはない開放的で自由な雰囲気が漂い、太陽の光を感じる。ユートピアを求めて南へ向かったゴーギャンは、新しい時代へと向かった。時代はまさに自由を求めて大きく転換しようとしていた。
  この展覧会では、ヨーロッパ封建時代の風景画を、今までとは違う視線で見られた事が面白かった。エルミタージュの森に入ると、十人十色の視点で楽しめると思います。時間が許す限り、祝日やGWを避けて、平日に往かれた方が楽しめることは間違いありません 。



2007年  画人日記(第74回)   「 ビル・ヴィオラーはつゆめ 」

場所/兵庫県立美術館
日時/2007年1月23日(火)〜3月21日(水・祝)
主催/兵庫県立美術館、朝日新聞社

  昨年、東京の森美術館で開催されたビル・ヴィオラの展覧会が関西で再び見る機会ができた。
  映像アートの分野では、第一人者として知られ、日本との交流も深く、SONY製の映像・音響機器を使って、自らの作品を制作している。
  今回は美術館の企画展示スペースとしては、そんなに大きくはとっていないが、見ている時間は映像作品ということもあり、2時間ほどを費やした。中でも、日本での風景を収録した「はつゆめ」は1時間弱の作品で、会場の9番目のブースとして配置され、毎日、スケジュールを組み、全編上映されている。
  小学生の頃からの作品が並び、中学生、高校生へと展開。それが不思議 予想していた以上の感動があった。というのは今までもこうした映像アートの作品は、ギャラリー、美術館で見たことがあるが、一つの作品としての完成度やオリジナリティがあると思った。
  そして、見終わったあと、9つの作品すべてを今でもはっつきりとイメージできるのだ。普通は記憶から消えていくものもあるのだがビル・ヴィオラの映像作品は、生と死を作品のコンセプトとし、最新の撮影技術を駆使しながら生み出していく。そして我々をその映像空間へと深く入り込ませていく。



  展示作品の1番目のクロッシングで、観覧者は一気にビル・ヴィオラの映像から衝撃を与えられる。スクリーンの表が火、裏が水をテーマにした映像作品である。映像には一人の人間が存在し、上部から下に滝のように水が落ちてくる。また人間を燃やし尽くすような炎が燃え盛る。映像と音の迫力で見る者は圧倒されるだろう。
  ビル・ヴィオラは、作品に人間への深い視察力を示しているのは、我々に何を訴えかえようとしているのだろうか。今回、3月3日にこの美術館にビル・ヴィオラを迎えてアーティスト・トークが予定されている。一度はこの展覧会を体験した人は、直接作家の肉声から、作品への思いを聴きたいと思うに違いない。
  映像作品は、全体的に、日常的な人間の心の動きを効果的なスロー映像で表現している。我々が過ごす、1日という時間の内面の心理を、見させてくれているようで、ショッキングさとユニークさも混じるようだ。また演劇的要素もある。登場する人物は、白人、黒人など多種多様な民族がいるのだが、実に表情がリアルである。演技力がないとこうした表現の作品を可能にすること難しいと思う。
  会場の8番目には、横並びの様々な民族の人間が、突然、強烈な水の勢いに遭遇し、それを防ごうとする者、地面に倒れるものなど、スローな映像で表現される。一見すると大変危険な映像なのだが、逆の立場から見るととても面白い映像なのだ。現代アートは、その作家が感じる社会の断片を切り取って見せることを基本としている。その表現手段として映像があり、キャンバスがあったりする。さらにその上に表現されるものは、ありのままを見せることではなくて、訴えたいテーマを如何に伝えるかは、作家のユニークな試みで変わってくると思う。コミュニケーションの難しい現代社会で、様々な分野でも、必要なのもは人間が持つユニークな思考ではないだろうか。
  この展覧会。かなりよかったと思います。ぜひ見て下さい 。




2007年 画人日記 (第73回)   「 大竹伸朗 全景展 」

場所/東京都現代美術館
日時/2006年10月14日(土)〜12月24日(日)
主催/東京都歴史文化財団 東京都現代美術館/読売新聞東京本社

 東京都現代美術館の全展示スペースを使って昨年の10月から12月に大竹伸朗の回顧展が開催された。展示点数も数千点に及び、30年前後の長期に渡る作家の歴史をほぼ年代順で見ることができる。
  会場には最終日の24日に行った。祝日も重なり、多数の観覧者が詰めかけ、美大生や一般の人など若い世代が印象的だった。
  まずは3階のスクラップブックの作品からスタートする。その作品の一つ一つが、紙や写真を組み合わせたり、様々な画材を使い、楽しさに満ち溢れた作品となっている。おそらくこのスクラップブックを最初に登場させた理由は、このシリーズに大竹伸朗の作家としての生きざまが存在するからなのだと思う。驚き、多才、大胆さなど、この作家の本質を見せてくれている気がするのだ。 だがしかし、スクラップブックに関心している大勢の観覧者は、この先のコーナーに出現する大竹伸朗の世界にまたまた驚くことになる。
  小学生の頃からの作品が並び、中学生、高校生へと展開。それが不思議と違和感なく、すでに大竹伸朗の作家としての始まりを感じる。子供の頃の楽しさが現在の大竹伸朗を形成する出発点となっているのだ。あらゆるものに好奇心を持ち、それが創作意欲を喚起し、作品として完成させる。そしてまた新しい作品を生む。こうした連続性が大竹のスタイルであり、まさに転がる石、ローリングストーンなのである。



  大竹の作品に共感する若い世代の多い事は、当然のように思える。音楽の匂いが作品から聴こえてくるのだ。それがロックかジャズかそうしたジャンルの区別でなく、同時代を生きる者に伝わってる感性が心地よいのだと思う。それは個人的には、黒田征太郎のあのドローイングにも通じ合うような気もする。
  全展示会場すべて見るには、余裕をもって2時間は必要は気がする。結構疲れる。時間が許せば、もう一度見たいと誰もが思ったのではないだろうか。絵画というく領域を突破し、大竹伸朗が外へ視線を向け、そこにアートにしたいものが意識的に生まれた瞬間、そこから大竹伸朗という料理人の包丁さばきとしての頭脳がパワフルに動き回り、新しいアートが皿の上にのっかる。偉大なアーティストによくある、日常そのものがアーティスト大竹伸朗であり、昼も夜も、オンもオフもこの人間には関係ないのだろうか。
  あと、平面作品を沢山見て、思ったのだが、色の配色に共通性があることと、作品を構成に独特の大竹スタイルがあることが分かった。大竹が生まれた同時代を活躍したアメリカのデビッドホックニーや他のアーティストの影響があることも分る。
  日本の戦後の現代美術の歴史を見ると、メディアや評論家の中では大竹伸朗の評価は様々だが、時代が大竹伸朗の再評価を求めていたとも言えるだろう。会場内の観覧者の前でで、ダブ平&ニューシャネルの立体作品を遠隔操作して音を鳴らしていたのだが、こうした光景をそばで見ていると、大衆とコミュニケーションできる大竹伸朗という作家には、親近感を感じ、美術と社会とのつながりも自然な感じでいいと思う。
  これから 先も大竹伸朗街道を走り続けるだろうが、70歳の頃にまたこうした回顧展を開催してほしいものである。