neutron Gallery - 益村 千鶴 展 - 『 Tenderness 』
2010/10/26 Tue - 11/14 Sun gallery neutron kyoto (最終日21:00迄)


濃密な気配の中に浮かびあがる人体や植物が、静かに語りかけるように照らされる絵画世界。
揺れ動く作家の心は繊細な表層に表情を与え、生きる世界に通じる触覚や痛覚をも感じさせる。
空想と現実の間を行き来しながら、現代を見据える目線は厳しくも優しい。
確かな画力と丹念に時間をかけて生まれた作品に宿るメッセージは、沁み入るように届くだろう。


 
「Tenderness」
2010年 / 1167×727mm(M50) / Oil on canvas


comment
gallery neutron 代表 石橋圭吾

 Tenderness とは、《優しさ、親切さ》、《柔らかさ》、《(痛みな どの)感じやすさ、敏感さ;かよわさ》を意味する言葉である。ほとんどアーティストステートメントらしきものを提示しない(もちろん意図的にであるが)作家にとって、個展の度に投げかけられる印象的なタイトルこそ、その作品世界を言葉以上に物語るキーワードとなる。前回2009年東京でのそれは「Faint light」(ほのかな光)、神戸での発表では「Vestige」(痕跡)、遡って2008年の京都では「Esperanza」(スペイン語で夢、希望)、2006年の大阪では「Remembrance」(記憶、追想)・・・と言った具合に、ここ数年は新作の発表とともに一つのワードが付けられている。その一つ一つはその時点での新作であり代表作となる作品のタイトルでもあるのだが、ゆっくりと振り子の様に振幅する益村千鶴の表現の方向性において、しかし絶対的にぶれない軸足の地点を指す言葉は、これらのワードの集積の中から見出せるのかもしれない。そのどれもが益村絵画の本質を言い表しながら、関係し合い、新作の登場と共に奥行きと広がりを確実に増して行く。だからこそ、私達はこの気ぜわしい現代生活の中で、生まれて来るのに相当の時間を要する作品を待ち、その前に今一度立って眺めることを、潜在的に求めているのだろうか。すなわち、猛スピードで繰り広げられる日々に呑み込まれる一方、人間には自らの存在する速度を選び、調整する選択肢もあると言う事を、改めて思い出すために。私にとって益村千鶴の絵画との時間は、そういった象徴的で絶対的な意味を持つものである。

 先にも述べたが益村千鶴の絵画作品は、生まれ出づるまでに相当の時間を要する。筆の早い・遅いの意味ではなく、一度でも作品の前に立てば分かる事だが、油画とは思えぬ肌理の細かな画面の質感、写真かと見まがうほどの表現力、何よりそれら技術だけに留まらず訴えかけて来る切迫感と臨場感は、ともすればスピードと大量生産が要求されがちなコマーシャルアート全盛の時代には際立って見えることになる。最近ではリアリズム絵画の復興も叫ばれており、事実、若手絵画作家には写実描写を競う向きもあるが、それらと益村千鶴には決定的な違いがある。それは自らの身体を絵画に取り入れることにより実現する、現実(リアル)と空想(ファンタジー)の共存であり、鑑賞者にとっても切実な感覚の共有である。作家が絵筆を握る以前に、様々な実体験と感覚の享受を経てこそ作品に向かう準備が出来るのであり、決して制作時間そのものだけを待てば良いのではない。

 以前から作品には益村千鶴のものと思われる手や顔の一部が頻繁に登場し、中でも特徴的な手は女性としては力強く見えるために、描かれている人体のモチーフを中性的なものへと印象づける役割も果たして来た。豊かな鼻梁は顔を描く際には欠かせない象徴(アイコン)として存在し、ほぼ全て伏して描かれる眼とは対照的に強さと逞しさを表している。作家本人は疑いようの無い「美人」であるのだが、当の本人はそこを出発点とせず、むしろ自らのコンプレックスと考える部分を絵に昇華しているとも言える。誤解の無い様に書いておくが、これらはいわゆる美人画の系譜の中に存在するものではなく、身体と精神を象徴的に描こうとするフィクションの絵画である。だが、小説に現代社会の出来事が大きく反映されるように、益村千鶴の絵画にはチクチクするほどの現代的な痛みや人肌のぬくもりに依る安らぎが存在し、例え現実から一歩二歩遠ざかった構図やモチーフであったとしても、むしろあっという間に見過ごされる現実より遥かに強く存在を訴えかけている点で、もはやファンタジーとは呼べぬ独自の境地(すなわち振り子の針の着地点)に存在し続ける。

 昨年から新しい下地の工程に取り組み、その質感は作品の方向性をさらに写実へと傾倒させている。そして今回の新作として見せられる作品「Tenderness」には、今までに無かった驚きの要素が突如として現れている。そう、益村千鶴その人が、顔の一部を隠すことなく描かれているのである。しかも体の中心線に沿って首から肩、脇腹へと続く深い傷を負って。今までは決してここまで大胆に自分自身を描くことの無かった作家に訪れた変化は、何を意味するのか。単に表現の振り子の振幅の幅が少し大きくなっただけなのか、あるいはこの作品は今後の行く末に深く関わるターニングポイントなのか。答えを出さないからこそ魅力的な作家と作品にまんまと導かれながら、私はただ呆然と絵の前に立ち尽くすのみである。

 「Tenderness」に込められた真の意味を探しながら。