neutron Gallery - 中比良 真子 展 - 『Stars on the ground』
2010/9/14 Tue - 26 Sun gallery neutron kyoto (最終日21:00迄)
ニュートロンアーティスト登録作家 中比良 真子 (平面)

夜空に満点の星を眺めることは現代においては難しくても、人々の暮らす地上には切ない希望の灯りが点る。
平凡であることの大切さを見失うことなく、日常にこそ幸せが見出されることを思う。
水や空、花や女性のシリーズを描いて評価を獲得してきた作家が、初挑戦となる夜景に見るのは、暗がりに存在する人間の生活であり、家路を急ぐ私達の帰る場所。


 
「Stars on the ground No.3」
2009年 / 91×117cm / 油彩、キャンバス


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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 例えば夏休み、という言葉から連想されるべき事柄は、一昔前までなら海だの山だの、アウトドアにまつわる楽しい遊びであったろう。自然の多い山や森に入ればトンボやバッタ、蝶はもちろん、蟻んこや蛙、蛇に至るまで、子供達は大人が触りたくもない対象物を嬉々として遊び相手に選び、海に行けばヒトデやくらげに刺される恐怖を感じながらも得体の知れない生物に目を奪われ、気付けば背中がヒリヒリと焼け焦げるまで飽きることなく遊んでいたものだ・・・。などと書くといかにも今の時代を憂う訳知り顔の年寄りの様だが、団塊ジュニア世代で最も人口の多い時に生まれた私の歳から以後、おそらく夏休みだけでなく子供達の遊び方は急激に変化し、ファミコンからプレイステーション、Wii までの一連の家庭用ゲーム機の流れは日本の子供達の多くを室内に引き留まらせ、携帯やメールの流行はさらに外出の不便を感じさせ、思えばここ三十年近くの間に随分、私達の身の回りは窮屈な理想郷に囲まれてしまったものだと思う。今の子供達の中にももちろん、海や山や川に出かけて真っ黒になるまで遊ぶ奴らはいるだろう。しかし自然相手に能動的に遊びを見つけて体感することと、モニターや小さな画面に向かい受動的に(誰かが考えた「感動」をインストールまたはダウンロードして)遊ばされるのでは、当然のことだが脳に働きかける情報の多さも強さも異なる。多くの情報を受け取らなければ脳は発達しないし、人に対して感情や考えを伝える術も育たない。雄大な自然に囲まれなくとも、ちょっとした身近な自然や人間の感情、機微に対して目を向けることは、昆虫観察や素潜りをする行為と同様に重要だと思うのだが、その視点を確実に持ってどんな些細な心の揺れ動きも忘れる事無く、内面の情操と外界への表現を実現するものこそ、まさしく「作家」と呼ばれる素地を持つ人達なのであろう。

 中比良真子は繊細で弱い女性である。それは今に生きる多くの同性代の女性と変わらない。あるいは男女の別なく、世代も超えて、私達現代人が抱えるジレンマやコンプレックス、夢や願望と言った点でも、おそらく特筆すべきものは無いと言って良いのではないか。それはとても平凡な存在に思えるが、私達の世界は多くの平凡と退屈の上に成り立っており、それは自然界の摂理とも何ら違いはない。平凡の中にこそ見えるささやかな違い(個性)があり、退屈だからこそ目先の・あるいは遠くの目標に向かって進むことができるのだ。もしこの世が本当の理想郷であり楽園であったなら、そこに住む私達は死ぬ程退屈を感じ、生きる意味すら見失うであろう。真の喜びとは苦しみや悲しみの上に見出されるものであり、安易に提供されるサービスや身勝手の中には存在しない。この世界の地表がコンクリートで全て覆い尽くされたとしても、それが故に人間が感受性を失うのではない。どこであろうと人が住む世界に何かを見出そうとすれば必ず、そこに幸福の光が灯るであろう-発明家によって、愛する家族によって、あるいは画家によって。団地や新興住宅地の均質な風景もまた、日本の情緒となる。伊坂幸太郎の書く小説のように、あるいはポロシャツに眼鏡の「普通の」少年達が歌うロックのように、ドラマは大掛かりな特殊効果に彩られることなく、南の島や辺境の地に行くまでもなく、私達の身の回りに確かに潜んでいる。ただしそれらは私達の視覚に溢れる過剰な情報の中に埋没しがちであるため、注意深く見ようとする覚悟と視力(あるいは洞察力)こそが求められる。

 油彩をベースにモノトーンの風景を描く中比良の画面には、そうやって丁寧に観察した結果抽出されたものだけが描かれており、意図的に削ぎ落とされた情報は表れない。だからこれらは中比良真子の視線であり、同じ世界を見る私達それぞれによって、何か別の発見があるという可能性も否定しない。小さな体だからこそ鳥のように高いところを自由に飛んで、世界を俯瞰したいという願望は絵に表される一方、人として同じ目線で見る光景には平凡に潜む微細な誤差が反映され、特別でないからこそ大切であると言う事を平凡から少しだけ逸脱した絵画によって感じることが出来る。今回の夜景のシリーズは昨年末にneutron tokyo で開催したグループ展「星に願いを」に出展した試みと、そこからの派生によるもので構成される。中比良が願いを託す星は絵空事の“ 満点の星”や流れ星ではなく、私達の住むこの地上の世界にある。だからこそ一段と美しく、輝いて見える。