neutron Gallery - 小倉 正志 展 『メトロポリス・ ファンタジー』 -
2010/1/19 Tuet - 31 Sun gallery neutron kyoto (最終日21:00迄)
ニュートロンアーティスト登録作家 小倉 正志 (絵画)

普遍なようで刻々と移り往く都市の表情。それはまさに蜃気楼のように立ち現れては霧のごとく消えて行く。

現代の都市の姿を描くことに取り憑かれ、常に新しい試みをもって制作を変化させる小倉正志が、新作を揃えて挑む2010年の「都市の姿」は、特に思い入れの強い街「TOKYO」を意識しながらも、グローバリズムとダイナミズムの支配する現代都市全てに当てはまる、うつろいの印象。





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 リーマンショックの後はドバイ・ショックだという。世界規模の恐慌の最中、痛烈なオイルショックに見舞われる世界は、今や地球規模のネットワークによって勃興をリアルタイムで共有し、切っても切り離すことのできない神経のようなパイプで結ばれている。それが人類の幸福に繋がればともかく、実は多大な影響が心配されるのはそのリスクの方であり、かくも文明と人類の進歩は図らずも地球の疲弊とともに足並みを揃え、破綻へのカウントダウンをしているかのようだ・・・。と書くといかにもネガティブであり、同時にSF 映画の見過ぎであると揶揄されそうだが、決して絵空事で終わらないのが今の世の中である。あるいは私達の想像を超えた出来事がいつ何時、世界のどの地点で起ころうとも不思議ではないし、私達はどこに居ようともその影響を受けないではいられない。

 小倉正志が10数年前に「現代の都市」を生命体としてとらえ、それを絵に表すことを目的としてスタートして以来、その短い間にも多くの歴史的出来事が重なり、世界の在り様は大きく変化し続けて来た。戦争に変わる新たな戦いの様態としてテロが多発し、まさに「9.11」が起こり、一方ではインターネット網は世界を大幅に縮小させ、大小様々なローカルネットワークとインフラの整備により、私達の住む場所はおよそ平均的に環境が整った。現代都市の姿は次第に一方を向いての競争原理に集約され、その度合いを見せつけあうかのごとく、一元的な進化を辿っているようにも思える。だがしかし、砂漠のど真ん中に突如として現れたドバイがまさに「砂上の楼閣」だとするならば、私達が夢見るはずの都市の姿はどうあるべきなのだろうか?

 小倉は単に受動的に都市を眺めている訳ではない。彼は同時に、都市の本質を見抜き、絵に描き表すことによって、私達にある種の感傷と希望を想起させ、その先に「時代の中に生きる私達自身が生み出す都市」の姿を想像することを喚起している。それは即ち、リアルタイムで行われる都市像の分析であり、同時に提案でもある。

 彼の描く都市像には初期の作品から今に至るまで一環して、植物のように天へ伸びんとするビル群や、幼児が描いたかのような稚拙な人の形をした記号(もちろん人間を表す)、それらが存在する都市がそのまま生き物として感情を持つかのように発揮される怒りや悲しみ、喜びの感情がある。現代都市と言えばクールでモダンな印象を持ちがちだが、小倉の描くそれはとても有機的で温かみがあり、時にコミカルで、時に禍々しいほどの熱量を帯びる。それはまさに小倉自身の感情や熱量を画面にそのまま持ち込んだからでもあり、向かい合うキャンバスは都市の姿を映し出しつつも、作家という生き物の中から生み出される架空の有機的イメージでもあると言えよう。無機的な近代ビル群と、理路整然と割り切ることの出来ない人間をはじめ生き物の存在。その両方が伴ってこそ「都市」が成立し、人や物、情報、エネルギーが血流にのって運ばれ、集積するのである。その姿は一瞬として同じ姿を留めず、不定形でありながらも常に普遍的な存在であり続ける。私達が目撃する都市の姿はその瞬間が全てであり、同時に過ぎ去った過去でしか無い。

 2009 年に京都・東京それぞれで今までの全作品から代表作を抜粋して再構成した個展を行った後、いよいよ今回は新作のみでの発表となる。既にneutron tokyo での個展で登場した作品も含まれるが、当時は旧作の強い色彩と印象の影に隠れがちだったそれらは、しかし確実に現代の都市の在り方を指し示しており、そのフワフワとした頼りない姿はまさに、どっしりと構える足場を失いつつある現代社会そのものであり、あるいはその行く末の様にも見える。初期の原色使いから次第に色彩も洗練され、今シリーズではパール系の絵具による色彩の変化も楽しめる。何より、作家自身が無国籍を前提としながらも強く意識している都市、「TOKYO」がそこに描かれている。ミシュランガイドで世界一の評価を受ける美食の街。インターネット回線のデータ送受信速度が世界一速い都市。様々な顔を持ち、どれも一つの側面でしかない、多面的で虚像に満ちあふれたTOKYO。小倉が描くその姿には、私達のまだ見知らぬ都市の本質が宿っているだろう。