neutron Gallery - 増野 智紀展 「Kaleidoscopic(変幻自在)な日常」 -

2008/11/24 Mon - 12/7 Sun gallery neutron


世の中に溢れる情報、物、人・・・。猥雑で混沌とした消費社会において、今何を作り、何を訴えかけるのか。立体造形作家として常に批評的であり、それでいてポジティブであろうとする増野智紀が、ユーモアと皮肉たっぷりに見せる「変幻自在」な日常から生まれる 作品群。素材、形状、タイトルに至るまで「ニヤリ」とさせられるこだわりの数々は、老若男女誰でもが楽しめるだろう。




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ニュートロン代表 石橋圭吾

 Wikipedia によれば、「M-16」は「ユージン・ストーナーによって開発されたアメリカ軍の小口径アサルトライフル(自動小銃、突撃銃)である。商品名はAR-15 でM16 はアメリカ軍制式採用 名称。…」とある。こう書かれても興味の無い方にはチンプンカンプンなのだが、「ゴルゴ13」で主人公の伝説のヒットマンが用いている銃と言えば、何となくおよその人はイメージが湧くのではないか。その M-16 はゴルゴに限らず今まで数多くの映画やゲームにも登場し、ガンマニアの間ではおそらく超・メジャーな存在なのであろう。残念ながら私は中学生の頃に遊びに行った友人宅で嫌々ながら空気 銃で戦争ごっこをさせられ、叢に隠れているところを見つかった際に正面からまともに左目を射抜かれ、あやうく失明しかかった経験があるので、モデルガンやエアガンの類いは世の中から一刻も早く無く なればいいと思っている人種であるが、そういう私でもM-16 に対しては一応の認識がある。

 その、ゴルゴのM-16 が何やらきらびやかな宝石の様なモノで覆われている…??

 実はスワロフスキーのクリスタルで装飾を施されている(と言うか,覆われている)のである。

 一体どうして? 何の為に? …。そう思ったらもう既に、この作家の思うつぼである。スワロフスキーと言えばダニエル・スワロフスキー(Daniel Swarovski)が創業し、オーストリアを代表するクリスタル・ガラスモチーフで国際的に有名。ヴェルサイユ宮殿やオペラ劇場のシャンデリアパーツなども手がけ、日本でもファッションの分野に多く浸透し、老若男女幅広い支持を得ているので、M-16よりは親しみがあるであろう(特に女性に)。この相反する強い個性のモチーフが「物」として存在を主張しながら、一方で打ち消し合う様に、緊張と緩和を連続させながら平静を装っているかのような作品が、この作家のアイデンティティーそのものを示すかの様だ。

 増野は京都精華大学大学院美術研究科を修了し、在学中は彫刻の分野で活躍したが、興味の幅は染織や映像などの領域にも及び、まさに「マルチ」と呼ぶに相応しい立体造形を生み出し続けている。表現の領域も多様(マルチ)であるならば、テーマとするモチーフやアイデアもしかり。ギャルファッションから着想を得たかと思えば、童話の世界を硬質な素材で現代の社会問題と照らし合わせてシニカルに再現し、大阪のミナミの雑踏の映像を万華鏡の様に再構築して見せれば、一方で子供達と映像を投影した風船で戯れる。彼の目に触れる事象はどれも現在進行形のものであることは揺らぎなく、作家として一つのイメージやモチーフに固執せず、むしろ多様で有る事、多様に表現する事が最も有効であると信じてやまない。素材とするのは現代においてどこにでも存在し、しかも一般に認識される特定の機能・役割を持つ物が多い。それらを彼が自称・錬金術士の様に再構築して見せることで、それまでの「モノ」の価値やその意味が劇的に変化する。そのドラマチックで馬鹿馬鹿しい出来事が、増野の表現者として社会に対する姿勢であり、笑いや驚きが発生することも期待されているのは間違い無い。その奥に進めば根源的な問いであり投げかけが用意されてはいるのだが、それを如何に受け止め、リアクションするかは観客次第である。問題を解決するのは常に私達自身でなければならない。

 彼は日本的な「見立て」「飾り付け」を標榜するが、私はもっと西洋的なモノからの影響を感じずにはいられない。かつて「ハレ」と「ケ」が日本人の性格を決定付け、日用と祭りを区別したのだが、もはや現代においては日本人は常に「プチハレ」(=いつも何となくお祭り気分であり、ある程度までで事足りる)を求め、それに疲れると「プチ癒し」(=何となく癒された気分で自己満足する)を求めるを繰り返し、平坦で地味な「ケ」も、狂躁的な「ハレ」も存在し得なくなってきている。日用品もおよそ西洋化され、日本人がそれを「西洋」的だと思うことすらしなくなった今、このタイミングにおいて身の回りのモノをナニカに「見立てる」ということは、どのような意味を持つのだろうか。決して否定的にではなく、興味深い。それはもしかしたら、私達が浮かされ続けている病的な消費社会の熱を、静かに冷ましてくれる行為なのかも知れない。