neutron Gallery - 塩賀 史子展 『かたすみの光』-
2008/7/8 Tue - 20 Sun gallery neutron
ニュートロンアーティスト登録作家 塩賀史子 SHIOGA FUMIKO

写真と見まがう様な精緻な描写によって、光の情感溢れる自然の光景を描き出す実力派。既に関西では認知度は高いものの、満を持してニュートロン初登場 となる今回、折しも祇園祭の季節に多くの方に見て頂きたい、絵画の醍醐味溢れ る珠玉のイリュージョンたち。そこに描かれているのは生と死の一瞬のきらめきと、二度と再現で きない美の瞬間。はかなくも短い時間を生きるということの素晴らしさを、ぜひ体感 して頂きたい。




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ニュートロン代表 石橋圭吾

 遠くから見ればまるで写真と見まがう様な、精緻な描写とリアリティ溢れる質感。実は近づいてみればキャンバ スに油絵具で描かれた絵画だと分かるのだが、それでも景色に吸い込まれる様な驚きは薄れない。塩賀史子は近年、特に森の中の木漏れ日が降りる状景をシリー ズで展開しているが、これらは作家の代表的な作品として認知されることは間違い無いだろう。

 塩賀の絵画は現代美術における一つの課題でもあり普遍的なテーマとも言える、「絵画とは何か」「平面とは何か」という疑問を、力強く信念をもって忘却の 彼方へと押しやるだけの力を秘めている。難しい理論を超越し、絵画による、絵画にしか出来ない幻影(イリュージョン)を出現させることこそ、絵を描くこと の醍醐味であると宣言しているに相違ないからだ。

 近年は大阪の老舗ギャラリー「CUBIC GALLERY」での個展が続いていたのだが、neutronでは初めての発表となる。既に関西における評価は定まりつつあるが、この作家は関西ローカル に留まるべき器の小さいものではない。おそらくは日本だけでなく世界でも共感と評価を得る事ができるであろうと考えており、早くも来年にはneutron の東京新店舗でも企画が決定している。まずは今回の個展がそのステップとなるのだが、季節は京都の祇園祭の頃。もちろん塩賀の作品の評価されうる許容範囲 を相応に広いものと認識したための時期設定であり、京都の地元の人々だけでなく、全国各地、世界各国からの来客の目に触れさすことを目的としている。

 塩賀はずっと、緑溢れる自然の状景を描き続けて来た。絵本の背景のように穏やかでぼんやりとした作風から、次第にここ数年は先述の通りに写真と見まがう 様なリアリズムを追求しつつ、さらにその奥に絵画だからこそ実現しうる普遍性、象徴性を秘めつつある。2006年のCUBICでの個展において現在のシ リーズの基本的スタンスは確立され、「庭」「木漏れ日」「水溜り」といったタイトル通りの光景(モチーフ)は今に至るまで、連作として描かれ続けている。

 乱暴に言えば、大作はレンズを引いてワイドな視野で捉えた風景画、小作は対象をクローズアップした上に少しだけソフトフォーカスを施した、植物などの拡 大画と分類できる。これらが会場に並べば必然的に、ミクロとマクロの視点を違和感なく体感できるということも、(当然ではあるが)作家の親切な意図が感じ られる。だが、もっと根本的に彼女の作品世界を突き詰めれば、それが木漏れ日や川のせせらぎが一枚に収められた大作であろうと、蓮の葉を寄って描いた小作 であろうと、「光と影」「瞬間の状景」という意味では何ら違いなく表されていることに気付くはずだ。全ては情報や説明を必要とせず、まさに美しいと言われ るべき一瞬を描き表したものに過ぎない。描き取られた瞬間の美はキャンバスの上で濃厚な密度を保ち続け、私達が森の中で体感するのと同様の激しい光と影の コントラストを忠実に再現された光景は、美しさだけでなくいずれ死を迎える切迫した緊張感や二度と同じ光景を再現しないであろうことを暗示しており、それ がまさに鑑賞者の胸を打つ。そこにはまるでざわざわとした木々の葉の擦れる音や小鳥のさえずり、降り注ぐ日光の静かな足音まで聞こえてくるようだ。そして 油の匂いはいつしか、私達の脳裏に残る甘く官能的な森の匂いに変わるかも知れない。

 ネタをばらすのは本意ではないが、塩賀の「庭」シリーズをはじめ多くの絵は、自らが住む滋賀県・野洲の森が描かれている。中には全く同じ光景を同じ構図 で描いたものまであるのだが、もちろん、それらは異なる印象の絵になっている。一瞬の美はその瞬間にしか訪れず、それはいつしか死を迎え、また新しい命が 生まれる。そんな当たり前のことすら忘れがちな私達に、やさしく、しかし切実に訴えかけるこれらの絵を、どうかゆっくりと眺めて頂きたい。胸いっぱいに吸 い込んだはずの森の息吹を思い出すために。私達の一生が瞬間の美に溢れていることに気付くために。