neutron Gallery - 笹倉 洋平  展 『 chain-synesthesia 』 - 
2005/2/22Tue - 27Sun 京都新京極 neutron B1 gallery


Artist , Works

【 作家、作品紹介 】






<作品制作に対する想い>
人間が創造した芸術の中に「音楽」というものがある。 音楽には音のもつ力の直接性が含まれている。 素晴らしい演奏になると、演奏者から観客へ、まるで目に見えるかのような音の粒子が降りそそぎ、 受けては否応なしに<不随意的に / 意識とは無関係に>、別の世界へ連れていかれる。
同じく人間が創造した、「絵画」の場合はどうだろう。 静止し、音を出すこともない、ただそこにある静止した絵画作品から 観客に一方的に粒子を飛ばすことはできない。
そこではまず観客が<能動的 / 自発的>に「見る」という行為をしなければ関係は始まらない。 そして、その「見る」という行為が成立したとしても、 次にある「理解しようとする」行為が同じく<能動的 / 自発的 / 意識的>に行われなければ、 作品が観客に理解されることはなく、ましてや影響を与える、 別の世界へ連れて行く、ということなどありえない。
一番初めの「見る」という行為に至るまでは開催場所の立地条件や宣伝、タイミング等、 作品以外の力や観客自身に委ねなければならない部分もある。
しかし一度観客がその場に足を運び、「見て」からどうなるかは作品の力次第である。
例えば同じ「見る」という行為の中でも、旅先で圧倒的な大自然の風景に出会ったときには、 その風景が持つ圧倒的な自然のエネルギーが一方的に降り注ぎ、「理解しようとする」までもなく、 心は震え、意識とは無関係の、新たな世界へと連れていかれる。
そんな「音楽」や「自然」の持つ、意識的に「理解しようとする」行為を必要としない、 圧倒的な力を持った作品を作りたい。 観客が見た瞬間、否応なしに別の世界へ連れていかれてしまう、 普段目をそむけていることに目をむけざるをえない、そんな力をもった作品。


<コンセプト>
chain - synesthesia   
synesthesia : 「共感覚」
- ひとつの感覚の刺激によって別の知覚が不随意的に引き起こされる - (Richard E. Cytowic)

作品を制作するとき、 イメージの根源には音楽があり、 それが個人的体験と繋がる。
旅先で出会った自然、 ふと目にした光景、 出会った人々、、、
それらから得た感覚が、 自分の意識とは無関係に、 音と結びつき、絵につながる。 その時、目の前には見えないはずの光景が広がる。
手が動き、 線が生まれ、 「増殖」し、 激しいうねりをもった大きな「流れ」を創る。
その流れは人間の感情であり、 壮大な自然の力であり、 無限の時間である。
それはやがて、 ひとつの「かたち」を生む。
そして、 その絵を見たもう一人によって、 またひとつ別の世界が生まれる。 (共感覚の連鎖)
嬉しいこと、 悲しいこと 楽しいこと、 辛いこと、 見慣れた光景、 知らないうちに目をそむけている事、 すべてを含む その先の世界