neutron Gallery - 大西 康明 展 『 restriction sight 』 - 
2004/11/9Tue - 14Sun 京都新京極 neutron B1 gallery


鉄の立体造形から始まり、物事の骨格・輪郭を探って辿り着く光景は  光によってスキャンされた写真に映る。 そして今回は、「動き」を伴った存在を新たに提示。 意欲的な挑戦を続ける作家の、待望の個展!





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

  立体造形を志す者にとって避けては通れないものが「輪郭(SHAPE)」だとすれば、大西康明は制作を進めるごとに立体物を構築することから外れ、物事の輪郭を疑ってかかる道筋を選択しているようだ。ある意味で蓄光シールが貼られた箱や容器の山も「立体物」あるいは「彫刻」と呼べなくも無いが、大西の視点はそのシルエットと、暗闇(と比較される明るさ)において浮かび上がる虚実の確認と提示に主眼を置いている。つまり積み重ねられた形状よりも、問題は物事の「見方」であり、我々が「目にする」事象がどれだけ曖昧で不確実なものか、あるいは「見る」という行為に頼り過ぎている現代社会生活の盲点を如実に浮かび上がらせていると感じられる。
 そもそも、鉄の立体造形から始まった彼の制作活動から現在に至るまで、一貫して変わらないのはやはり「輪郭」である。「アウトライン(outline)」と言い換えてもいいだろう。中味よりも外側。もちろん中味はとても重要であるのだが、そこに到達するにはどうしても外側の問題を意識せざるにはいられない、といった作家の切迫した意識が見えかくれする。例えば2002年当時制作していたステンレスの骨格による造形作品は、2004年のレーザーポインターによって照射する連作「two sights.」と極めて密接な関係にあることが分る。かたや自身が作り上げた形、かたや既に身の回りに存在している形。どちらのフォルムも、彼が認識する術として何らかの法則に基づいた制作あるいは作業によって確認される。それが同じく2004年の蓄光シールによるインスタレーションにおいて、彼自身が「グリッド状に」と説明するように、見事に踏襲されている。遡って2003年の「闇事」シリーズも、一見して法則は存在しないような発散した光線を見せるが、これとてグラインダーによって削られ発光する火花によって浮かび上がる光景は、その瞬間的な均質な熱量と光はもちろん照明としての役割を果たし、ある空間における「見え方」を一瞬にして別のものに変え、その「グラインダーの法則」は別のあらゆる場所でも応用されるのだ。これが彼自身による光景の「スキャニング」の始まりだとすれば、この「闇事」は最終的には大判の写真で発表されるが、実際は光を使った連作、試みはこの時点から着実に進められていると捉えることができる。ここで興味深いのは、彼が自身によって立体物を作り出さなくても、彼の「輪郭を追う」作業は結果として既存の物あるいは自身がインスタレーションした物を光によって照らし、浮かび上がらせて異なる形状に見せるという点では、充分に「彫刻」的だと言えることだ。
 部屋、家具、身体、容器、建築、環境・・・。彼の旅は自身を取り巻く外的事象を辿り、少しずつ前進しているとすれば、次に視線を向けるのは一体どこだろう?実は今の時点で新作の概要はまだ決定されてはいないためここで述べるのはおおまかなイメージでしか無いが、今回はどうやら彼自身の手による何らかの「もの」が、常に形状を変化させる、のだそうだ・・・。常に変化する曖昧な外側の形状、は今までに無かった要素である。ここに従来の手法や実験性をどの程度盛り込むのか、あるいは彫刻としての存在感を明確にし、変化そのものに単一のスポットを当てるのか。いずれにしろ、大変興味深いことは間違い無い。そしてその先に、もしかしたらいよいよ物事の「中味」が見えてくるのかもしれない。暗闇に朧げに光っていたフォルムは実は大量生産された商品の容器や空き箱で、砂の城のように積み重ねられた幻の城だった。しかしそれを生み出した文明は、あるいは人間は、まだレーザーの光が一瞬当てられただけで、全貌は明らかにされていない。彼の今後の制作活動はもしかしたら、人間、そして人間によって生み出される全ての事象を精査し、別の次元に暴く行為なのかも知れない。立体造形、写真、インスタレーション・・・全てのツールは彼によって必然であり、この世を掴み認識する手段であるのだろう。