neutron Gallery - junaida 展 『FANTA』 - 
2004/8/30Mon - 9/5Sun 京都新京極 neutron 5F gallery

ピュアでナイーブな感性は大人をも巻き込んでしまいます。 じっくりと描かれた一枚一枚の絵は動かずとも、物を言わずとも、見る物に物語を連想させ、幸せな空想に誘います。




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gallery neutron 代表 石橋圭吾

なぜ今、ファンタジーが求められるのか。 映画「ロード・オブ・ザ・リング」「ハリー・ポッター」を例に挙げるまでもなく、 世界的にファンタジーものが人気である。 もちろん今に限らず、おとぎ話や童話の世界から始まって常に存在するのだが、 それはおおよそ子供向けの、あるいは子供のためのものであった。 しかし昨今のファンタジーブームを支えている層には、大人もかなりの比率で 含まれていると言えよう。いや、大人こそ、ファンタジーを求めているのか・・・。

世相や景気、あるいは風潮を反映して、「物語」の流行は移り変わる。 そこには必ず理由が有るのだとすれば、ファンタジーにも然り。 日本に限らず世界中どこでも「平和」と言い切れる所はどこにも無い世の中で、 現実逃避的に空想の世界に浸りたいと思う気持ちも当然だろう。 従来のファンタジーのイメージとしては、これが大きかったのではないか。 しかし今ひとつ、大きな理由がここにきて存在し得るとすればそれは、 あらゆる退廃や喜・悲劇、そしてグロテスクやエロチックが出回って消費される この時代において、大人も子供も等しく欲する「正統派」なストーリー・・・ いわゆる「勧善懲悪」や「起承転結」が起こりうるのはもはや、 ファンタジーの世界のみでは無いか、という見方ができる事である。 映画や小説においても、すべからく発生する凶悪で陰惨な事件。 そしてそれを超えて、「事実は小説より奇なり」と主張する実際の事件。 子供達に読み聞かせるおとぎ話は「子供だまし」で終わってはいられない。 読んで聞かせる大人の思いはこの先の不安で切実である。 だからこそ、その大人達をも納得させ、子供に伝えたいと思わせる重厚で濃密な 「現実社会の困難を予測させる」ファンタジーこそが、必要なのかも知れない。

junaidaが描くファンタジーは(彼は絵本も制作する)、本人が言う様に、 「あったかさとつべたさのハンブンコ、でも、ぬるくない」 だとすれば、どんなに可愛らしく描かれていようとも、空想の中の住民だろうと、 彼らは今の社会を生きる一個人としての作家の内部から生まれ、存在する。 そこには必然的に困難や悪も含まれる。それを無闇に描かずとも。 イラストレーションとして、ストーリーとして、 彼の作品が万人に受け入れられる要素を持つのだとすれば、すなわちそれは 大人の鑑賞に耐えうる「力」を秘めているからだろう。 しかしながらまだその本領は発揮し切れているとは言い難い。 彼自身の着実な歩みと表現の成熟が待たれるのだろうが、 その種は広く蒔かれている。 私達が彼の絵を見る時、純粋に向かい合う事が出来れば、 大人を忘れて子供に戻ることができるだろう。 また逆に、子供達は彼の世界に浸ることが出来れば、 ちょっと背伸びしてドキドキワクワクの冒険を夢見ることができるだろう。 「ウルトラマン」や「ガンダム」が実は人間性や社会性を大きく孕んでいたように、 彼の提示する世界もまた、そうあって欲しい。 未だ「大人になり切れない」表現者だったとしても、 彼の描き出す主人公があらゆる挫折や苦悩を乗り越えて活躍する日は、 そう遠く無いはずである。