neutron Gallery - 北平明子 展 - 
2004/4/20Tue - 25Sun 京都新京極 neutron B1 gallery

平面としての版画作品を中心に、「緑の力」をテーマにした個展。グリー ンが秘める生命力、希望、死生観などをじんわりと感じさせ、春の季節に暖かいメッ セージを送る。皆さんの心にひと粒の種が届きます様に・・・。





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 北平の個展は、昨年に続いて2度目となる。私たちニュートロンがよちよちながら歩み始め、右も左も分らないなりに頑張って企画を出し、気が付けば1年が足早に過ぎて行く。それと供に、縁合って付き合い始めた作家達もまた、それぞれのペースで懸命に制作を続け、発表の機会が再び、三たび訪れる。そしてその一回一回に新鮮な驚きや発見が有る。それはとても幸せな事で、それがあるからこそ、お互いに頑張れるのだと信じている。
  昨年の個展では平面と立体、両スタイルでの版画作品の提示を見せたのだが、今回はほぼ平面としての作品が中心となる。一度ご覧になったことのある方ならきっと忘れることのできない、美しい輝きを放つ立体作品は、樹脂を用いて形作られた透明の物であるが、そこにはシルクスクリーンで刷られた様々な記号や小さなイメージが閉じ込められている。立体としての形は四角いキューブ状であったり、動物の骨のようであったり、ビンであったりはたまたスリッパだったり・・・。身の回りの「物」としてのそれらに対する個人的なエピソードや記憶、想い出を基に作られている。そしてそれを見る者は、その本来のメッセージそのものを受け取ることが仮に出来なかったとしても、見る者の視点から、様々なイメージを受け取ることができる。そして何より、そのどこか寂し気で朧げな美しさに目を奪われる。一方、平面としての版画作品はよりイメージそのものの具象性が強くなるのだが、多くの版を用いて刷られたり薄くコーティングがかけられたり、の多層な成り立ちの平面として奥行きを持つ。立体の一見した華やかさに比べると地味な印象を与えるかも知れないが、その画面の前に立つと、じわじわと染み入るように見えてくる景色が有る。モチーフとして描かれる対象物のイメージはもちろんだが、淡い色調はどこか記憶の奥底の心象風景を連想させ、見ればみるほど、網点のひと粒ひと粒でさえ、何かを物語っているような錯覚を感じる。今回はこの平面としての版画に焦点を当て、じんわりと、まさに春の様に暖かい展示になるのではないかと思う。
  版画に刷り込まれるイメージの中の多くに、グリーン(草花の総称としての)が含まれることは、何も今に始まったことでは無い。北平はそのグリーンから、多くのものを受け取っている。植物としてのそれらは物を言うことは出来ないし活発に動き回ることも出来ないが、その佇まいや綺麗な花・実を付けて自己を表現し、次の世代を産み落とそうとする懸命な姿がある。野の花でも、庭先の鉢植えの花でも、人為的に植えられ育てられる樹木でも、そこに存在する以上、彼らは生き物として懸命に生き、遺伝子を受け継がせようと努力する。そう、決してあきらめることはないのだ。何てタフで、一途なんだろう!私達人間は頭脳によって地球を支配しているかのごとく振る舞うが、その実、とても繊細で傷付き易く、脆い。時には生きている事の辛さに耐えられない生物である。でも私達は生きなくてはならない。生きる理由を見つけようと努力しなければならない、のだろう。それはシンプルで難しいことだと感じる。私達の住む世界も、植物のそれと同じく、様々な困難と危険と不安に満ちている。グリーンはそんな中、いやどのような環境の中でも、例え最後の種ひと粒になろうとも、生きて光を浴びようとするだろう。私達人間もまた、それぞれの夢や希望を、決して捨ててはならないはずである。折しも季節は春。永い冬の眠りから醒め、ゆっくりと体を伸し、体一杯に太陽の光を浴びようとするグリーン達。人間もまた、暖かくなって外に出て、ぽかぽかとした陽気を楽しむことで活力が湧いてくる。北平はこの展覧会にて、そんな穏やかだけど芯の強い、グリーンのエネルギーたっぷりの作品を見せてくれるはずだ。そしてその輝きはまるで日光を浴びて勢い良く伸びる、若草のような瑞々しいものであろう。それらが持つ幸福の種を、皆さんにひと粒ひと粒、大切に持って帰って頂けたら、とても嬉しい。