neutron Gallery - 橋本 佳代子 展 - 『 星 』
2010/7/20 Tue - 8/1 Sun gallery neutron kyoto (最終日21:00迄)
ニュートロンアーティスト登録作家 橋本 佳代子 (平面)

少女漫画の昔から、夢見る乙女の瞳の中には無数の星がきらめ く宇宙が広がっている!
少女の顔に焦点をあて、ディフォルメの果てに見えて来る見過ごせない切迫感と高揚感は、今の時代に流れる気配を感じつつもその先へと希望を綴るおおいなる力ともなる。
表情や感情を超えた「器」としての顔から展開される、壮大なミクロコスモス☆





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 いつの時代にも、夢見る少女の瞳には満天の星空のごとく、キラ星が輝く。少女漫画における伝統とも言える描写の事だけを言っているのではない。古き良き映画の時代にも、世界中から羨望と賞賛の眼差しを向けられたハリウッド女優の瞳は皆、銀幕の中で煌煌とスポットライトを浴びて最大限の眼力(めぢから)を発揮しており、モノクロームのフィルムにも関わらず吸い込まれそうな引力を有していた。日本では大正時代に竹久夢二の描いた乙女の姿が一斉を風靡したが、彼のスタイルは従来の日本画的美人画を当時の先端的なイラストレーション〜グラフィックデザインへと変化させていく過程の中で独自性を見せるようになり、今の少女漫画の系譜へと受け継がれた重要な存在と言えよう。その後手塚治虫によって、(彼自身の少女趣味によって)次第に少女達の眼は大きく見開かれるようになり、ディフォルメされた肢体と瞳は日本の漫画における象徴的なアイコンへと育っていくことになる。手塚治虫が宝塚歌劇のファンであったことは知られているが、まさに乙女の眼力が漲る宝塚のレビューも、こういった文化の継承と発展に大きな影響を与えている。そして現在に至るまで、漫画における少女達も現実に生きる少女達も等しくその眼力を競い合い、昨今では実際の化粧がまるで漫画のように誇張され、もはや事実は漫画より奇なり(…と書くと一斉に批判を浴びそうだが…)と気付くとき、少なくとも日本における女性の美的価値観は片や西洋の流行を取り入れつつ、もう一方では極端に日本独自の文化を育みながら、今では世界から注目されるスタイルと新しい美的価値観を誕生させたとも言って過言ではないだろう。恐るべし、日本女子。本来は一重で眠たい瞳であることを乗り越え、まさにコンプレックスを長所へと変貌させた典型である。

 何も眼力と言うのは少女に限ったことではない。任侠俳優のカリスマ・竹内力や目薬のCMでお馴染みの北村一輝の眼力と少女のそれとでは、内包する意味が(あるいはスケールが)違って来る。前者は専ら意志の強さを表し、相手を威嚇するための手段としての眼力なのに対し、少女(乙女)達の眼に映るのは広大な星空であり、相手を非現実的な空想とロマンチックな幻影に引きずり込む威力がある。現実の厳しい戦いの中で見開かれる眼と、純粋の象徴として演出される瞳…。しかし両者は人間に与えられた感覚器官としての、機能を超えた役割であることにおいては等しい。古くはエジプトの古代文明に代表される人類の生み出した芸術の端緒とされる壁画や装飾に、もっとも印象深く描かれているのは「眼」である。神々の眼は霊力の大きさを示し、一様に見開かれるか、あるいは思慮深く閉じられている。言語や服装、宗教が変遷しても私達がそれらのキャラクターに惹き付けられてやまない理由こそ、元祖「眼力」の神通力であることは否めない。かたやフリーメーソンの有名なピラミッドと一つ目のシンボルは、まさに眼力をそのままアイコンとした代表例である。「万物を見通す目」とされるその片目はやはり、霊力と洞察力、政治的な意志の強さを表すにはこれ以上ないモチーフと言えよう。つまり少女や任侠に宿る以前の眼力には、極めて高い霊力とイデオロギーが託されており、おそらく人類は無意識のうちにその眼力の影響力を認識し、行使し、結果として文化的遺産にも/ギャルのメイクにも形骸化されて残ってきたことになる。

 そしてここに橋本佳代子が描き表す星々こそ、そういった眼力の系譜をパッチリ☆と受け止めた上での思い切ったデフォルメの表現であり、巷に見られるツケまつげやマスカラによって増強された女性達の眼力UP作戦とも無縁ではない。ただし橋本の描く顔には時として二つと限らぬ眼が存在し、顔は器(うつわ)として成り立ち、表情という表層に意味を持たさない。見開かれた穴(=眼)の奥に広がる宇宙への入口は、すなわち神殿の門でありながらも、顔という形状だからこそ偶像的な意味合いも捨てきれず、本来は神格化されるべき対象そのものでもあるはずである。このシンプルだが矛盾した顔の中の眼という図式は、髪型や色、顔の大きさ(=絵の大きさ)や形状によって差別化を図られるが、ある意味では「福笑い」のごとく、顔というフォーマットさえあれば他のルールは無視されることにより、現実に由来するポートレートとしての「顔」を離れ、実に神秘的で根源的なものへと遡る。そして少女達が内包する小宇宙は、人類の歴史を辿って脈々と受け継がれてきた遺伝子の法則を現代に示すため、無数の眼の中にキラ星を輝かせる。