neutron Gallery - 鈴木宏樹展 『 あることないこと 』-
2009/4/14 Tue - 26 Sun gallery neutron kyoto
ニュートロンアーティスト登録作家 鈴木宏樹 SUZUKI HIROKI

これは彫刻なのか、絵画なのか、はたまたそのどちらでもないのか。童心によるイタズラのような制作過程から浮かびあがる、根源的で普遍的な問題を秘めた大マジメな作品達。
でもなぜか笑ってしまうのは、作者特有のユーモアのせい?
現代美術の可笑し味にピリッとシニカルなスパイスを混ぜ、噛めば噛むほど出てくる病み付きの美味しさはイカが??




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gallery neutron 桑原暢子

 昨年度修士課程を修了した鈴木宏樹は、以降もグループ展への参加、公募展への応募などで作品発表を続けてきた。学びの場を離れて一年、制作環境が変わり作品がどのように変貌したのか、していないのか。

 彫刻科を卒業・修了している鈴木だが、新作を見ていると「平面か?立体か?」という要素が以前にも増して色濃く出ているように私には見受けられる。分厚い発泡スチロールに鮮やかな色。着色に使用する液体にはシンナーが含まれているため、発砲スチロールは溶けており、表面はぼこぼことした凹凸がある。また他の作品に目を向けてみると、黒い用紙がくるりと貝のように丸まりかけているものが沢山並んでいる。よく見てみると黒い紙ではなく、まっ黒になるまで塗りつぶされた白い紙なのだ。様々な形に変形している黒く塗りつぶされた紙。同じペンで、同じように塗られているだけなのに、その様子はまるで生き物のように一つ一つ違った形状をしている。

 このようにして、平面を使用して作られた作品は今回が始めてではない。以前にも雑誌の切り抜きを使い標本にされた昆虫(のようなもの)を作ったり、模造シートを段ボールに張り付けて、いかにも資材であるかのようなものを制作していた。どちらの作品も平面から立体を作っているが、これらはまず立体作品として存在するからこそ、平面を使用しているというところに意味が生まれる物であった。印刷物として刷られている「何か」と、立体として出来上がった「何か」。それぞれのイメージが相互にぶつかりあうことで、皮肉にも似たユーモアを展開し、意表をつく作品を作り上げていた。

 しかし今回は、以前とは平面の使い方が違う。素材として平面を使用しているのではなく、絵画を描くことによって平面を利用しているのである。描くモチーフを具象にすることによって、絵を見ている感覚に陥れる。例えばそれはバナナのようなものであり、でもバナナではなく、つまりそれは一種のイリュージョンだ。しかしここで「描く」と言っても実際に絵筆・絵具を使用しているわけではない。発泡スチロールを使用した作品に注目すると、描くというよりもむしろ溶かし「削る」要素の方が強い。まるで大理石の塊から何かの彫刻を彫り進めるかのような感覚である。彫り削られて作られた作品は、絵画なのか、それとも彫刻なのか?そんな疑問が渦巻いてくる。それもそのはず、画面上にバーチャルな世界を繰り広げられると同時に、実際に自分の目の前に存在し、そのものとして認識できる立体特有の側面が交互に顔を見せるのだから。「描く」という行為をもって制作される今回の作品は、印刷された何かが重要だった平面とは違い、そこには実体ある彫刻としての存在感がまじまじと感じられる。

 絵画と彫刻のあいまいな境界線上にある作品。そこにある作品を私たちはどちら側を受け取り、どちら側を楽しむのだろうか。もしかするとどちらでもないところなのかもしれない。