neutron Gallery - 谷口和正展 『RE:BIRTH』-
2009/3/31 Tue - 4/12 Sun gallery neutron kyoto
ニュートロンアーティスト登録作家 谷口和正 TANIGUCHI KAZUMASA

 鉄の質実剛健なイメージを、柔軟で生命力豊かなものへと変貌させる造形作家。
 「ことば」という要素を含ませ、より人間に身近な素材として鉄を意識しつつ、確かな技術とピースフルなメッセージによって作品へと昇華させる。
 今回はCD-Rという記録メディアを新たに素材として取り入れ、過去の記憶と未来へのメッセージ が伸びやかに成長する・・・。




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ニュートロン代表 石橋圭吾

 鉄と聞くと、まずは工業製品をどうしても思い浮かべてしまう方も多いだろう。事実、車や電化製品、建築などの素材として重量感のある使われ方をするので、どうしても無機質なイメージを持たずにはいられない。しかし谷口和正は、従来の鉄あるいは鉄の彫刻のイメージを変化させてくれる作家である。剛健なはずの鉄が優しく語りかけるように、あるいは歌うように、時には悲しみの涙を流す様に、彼の作り出す造形作品は人々の心の動きと共に揺れ動き、繊細な表情を見せる。

  ニュートロンでは述べ3度目の個展となるが、毎回彼の仕事から驚きと発見を得る。従来は円錐形の縦または横置き作品の中に照明装置を仕込んで、暗くした展示空間に立体としての存在感と影の表情を際立たせていたが、近年はCD-Rという現代のメディアを物質的に素材として取り入れ、より軽やかで動きのある作品をシリーズとして制作している。鉄とCD-R とは意外な組み合わせだが、例えていうなら鉄の支柱と言える部分が幹や枝で、CD-Rが花や葉のようにヒラヒラしていると想像すると、それぞれの果たすべき意味も自然と見えてくる。鉄も磨けば鏡面のように風景を映し出すが、CD-Rは予め反射するものであり、谷口はそれらの違いも計算した上で両者の反射をすら使い分けているように見える。ちなみに今回の展示作品においてのCD-Rの使われ方は、花や葉としてではなく、生命を育む水面であり、水田の擬似的表面であると捉えることも出来る。一方、物質としての表面とは別に、CD-Rとは本来デジタル情報を記録するメディアである。そこには誰かの過去の想い出や現実の苦悩、未来へのメッセージが内包されているとしても、不思議ではないはずだ。そこから息吹く種子には、果たしてどんな遺伝子(メッセージ)が存在するのだろう…。

 谷口の作品には必ず、音楽が背景にある。BGMとして流れているのではない。彼は無類のバンド音楽好きであり、実際に自身の造形作品とバンドとのコラボレーションのイベントを企画したりもする。彼の創作の発端は世の中に対するピースフルなメッセージであり、一方で彼の耳に音楽の形で入ったものと作家の心が共鳴することにより、それらが増幅した形で立体造形として具現化される。単にインスピレーションを受けたという程度ではなく、彼の作品は根底に音楽を秘めている。そして歌っている。視覚的にも、彼独特の切り抜き文字のパーツが頻繁に登場するため(時にそれが主役であることも多い)、言葉=歌詞という結びつきは比較的容易に想像できるが、では誰の何という歌の歌詞か、は明らかにはされない。表層的な言葉そのものに意味を持たせ過ぎず、言葉という不定形で曖昧な存在が、鉄という確固たる素材によって具現化されたことを楽しむべきであり、さらには言葉本来の相互性(誰かが発して、誰かが受けとる)が谷口作品のアイデンティティーとして存在していることを理解した方が、より素直に作品を見る事ができるかも知れない。

 今回ここで提示される彼の新しい境地とも言える作品は、生命の誕生する喜びと躍動感を、鉄によって見事に表すことだろう。何度も言うが鉄は本来硬いはずなのに、とても柔らかく優しいものであると感じることが出来るのは、彼自身がそのような人間であるということが前提にあると言える。鉄は錆びても味を出し、切り落としたクズ鉄もまた立派にリサイクルされて再生を果たし、切り口や表面の仕上げ一つで多彩な表情を見せる。もの作り立国・日本を支えてきた鉄は、日本刀というアイコンを用いずとも、私達現代の日本人の心に寄り添うことの出来る特別な素材(存在)であるとは思えまいか?

 静かで雄弁な作品の力を信じ、谷口和正は現在の鉄工として、あるいは世界共通の言語で歌うロックアーティストとして、今日も炎と同様に熱い魂を燃やし続けている。