neutron Gallery - 大西 康明 展 - 『 vertex 』
2006/9/4Mon - 17Sun gallery neutron kyoto
ニュートロンアーティスト登録作家 大西康明  (立体、インスタレーション、写真)

ブラックライトを用いたスペーシーなインスタレーションで一躍脚光を浴び、精力的な展開を続ける気鋭の彫刻作家が今年も登場! 昨年の「ロープウェイ」に続き白日の元に曝されるのは「頂点」と題された新作。 モーターに導かれるその動きは観る者を魅了してやまない。お見逃しなく!!





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

  美術作家という存在が今の(あるいはこれからの)世の中においてどう在るべきか、いやどう在るのが理想なのかと問われれば、もちろん個人個人の可能性が違うようにその理想形も万別なのだろうが、一つの形を示していけそうな人物が、この大西康明である。私が思う今後の美術作家の在り方とは、「時代に対する真摯な眼差しと考察」を持ち合わせ、「卓越した技術とユニークなアイデア」を兼ね備え、「社会と関わることによって様々なメッセージを発し」、「その時代の温度を1℃でも変化させる」ことが出来る事であると考えている。どれかを当てはめることはできても、なかなか全ての要素を満たすのは難しい。あるいは一個人が全てを満たさなくても、集団ないしグループがそれを補いあえばいいのかも知れないが。特にこの要件の中で難しいのは「社会と関わることによって」という部分ではないだろうか。多くの作家志望の挫折はその一点において上手くいかないことが原因となる。
 簡単に言うが、社会はそんなに甘く無い。いくら作家だのアーティストだのと言ってみたところで、社会を振り向かせるには、あるいは社会に必要とされるにはよほどの話題性か売上かコネクションでも無ければ難しい。しかし大西は、当たり前のように、それら無しで純粋に自分の表現そのもので社会を振り向かせることに成功しつつある。経歴を見ればいかに多様なジャンルから評価されているかが一目瞭然であろう。単に「アート」と呼ばせない何かが彼の生み出す現象の魅力である。それがロープウェイの左右への単調な往復だったとしても、なぜか目を離せない。私達はまるで赤ん坊が始めて与えられたおもちゃで飽きるまで遊ぶように、大西の提示する作品(あるいは現象)を次々と欲し、その虜になってしまうのだ。「社会」がどうの、と言うよりはもっと原始的な意味合いで、彼のファンが増殖し続けているのだと言えよう。その結果、展示の機会やアイデアを求められる機会が増えるのはまさに、理想的な作家の形ではないか。
 誤解を恐れずに言えば現時点でグラフィックから彫刻、インスタレーションまでの領域で彼は存在を発揮し、どの一点にも限定されていない。近年続いたブラックライトのシリーズによって作風が限定されたように感じられもしたが、昨年のニュートロンの個展で見事にそれを裏切ってみせた。実に単純明快な展示プラン、そしてそこに潜む多彩な事象と可能性。鉄の立体造形から始まり写真メディアを経てインスタレーションという形態に辿り着いてはいるが、未だ彼の完成型は見えない。だからこそ「次」を欲してしまう私達がいる。美術がエンターテイメントであるか否かの論争は置いておくとして、彼が自問するのは「どこまで周囲の(言い換えれば社会の)期待に応えるか」だそうだ。その答は容易には出ないだろうし、出すべきでない。ただ現状は、彼の思考と装置のモーターはとてもスムーズに回転しているのは間違いない。
 今回の新作インスタレーションは昨年9月のロープウェイに通じる部分もあるが、動きは異なり、動体も複数であるようだ。従来の(良くも悪くも)カッコ良いブラックライトのイメージを打破して本当の意味で多くの人に魅力を感じさせた会場で再び何かが起きようとしている。いや、単に糸が引っ張られて動くだけなのだが。