neutron Gallery - もりやゆき 展 - 
2006/5/29 Mon - 6/11 Sun gallery neutron kyoto
ニュートロンアーティスト登録作家 もりやゆき  (インスタレーション)

陶や蝋を巧みに用い、スケールの大きな立体・インスタレーションによって繊細な感情と日常的な事象を表すもりやゆき。今回はガラスの向うの空間を氷山に見立て、私達に何を見せようと言うのか?実力は折紙付き、あとは作家としての知名度が全国に響き渡るのも時間の問題。





comment
gallery neutron 代表 石橋圭吾

 この作家の領域は一言では言い表わし難い。素材を挙げれば主に出自である陶とそれに関連する性質を持つ蝋が代表的であるが、かといってそれらを用いた立体作家だとは断言できない。実際に立体作品はインスタレーションとして成り立つし、近年では平面的な試みも見られるからだ。かつ、光(自然光であったり関節照明であったり)や水も表現に極めて近い関係にある。すなわちそれらは日常的な要素として彼女の表現に取り入れられているのだが、素材を単に作品に転換して見せるというよりは、その場に突如として普段とは異質なものを現出させ、作品を体感する人々がそれを通じて心の奥底に眠る記憶やイメージを掘り起こさせられる、といった装置的役割を担う一連の出来事を生み出していると言えるだろう。それこそが装置的設営と訳されるインスタレーション本来の役目でもある。
 とは言え、この作家と素材の関係はやはり切り離す事が出来ない。代表的な筒状の陶による樹木のような作品群はまさに有機的な存在を表しながら、一方で質感は完全に乾き切った無機的なものとして映る。しかしそれがある空間に現出することにより、我々が感じる日常と非日常の際(きわ)はとても優雅で、ゆったりとした時間を有する。生命力が一瞬にして凝固した様なそれは螺旋状であったり上方へ伸びる形状であったりと、空間とその場の気に応じてフォルムを形成したかの様なイメージをたたえる。これは焼成物である陶の生成の課程に依る部分も大きいだろう。一方で近年の蝋の作品群は一様では無い。平面的な作品ではフィルターのごとく事象を覆い隠す役割を果すかと思えば、かつて陶が果した筒状の役割を担ってみせたりもする。もちろん、透けて見える性質を上手く活用した上で。前回のニュートロンでの個展では(移転前の2スペース)、5階の小空間において巨大なカーテンを蝋で固め、一瞬の揺らめきを閉じ込めて見せつつ窓際の空間では外光を取り入れて透けて見える何かを提示した。さらに地下の大きなスペースでは真っ暗な闇の中にまるでDNAの螺旋のごとく伸びる発光体を作り出し、光の明滅によって見える様々な印象と圧倒的な存在感を見せた。実に多様な素材の用い方であり、どれもがその特性を活かしたものであることは言う間でもない。この個展においてもりやゆきの力量がはっきりと示されたと言えるだろう。
 さて、1年と少しを経て場所も変わり、新たに今回提示されるものは何か。今は素材を明かす時期では無いので書かないが、今まで以上に「もの」ではなく空間そのものを見せる展示になりそうだ。作家の意図する「何かを思い起こしたり、考えたり、きっかけになるようなもの」は、それが何に見えるかは人それぞれである。ただ、この作家の得意とする圧倒的な空間構成は今回も期待を裏切らないだろう。それほどに空間を必要とするのは作家としてのスケールの大きさとも捉えることができるし、作家自身のイメージの大きさ、すなわち自らが体感しようとするものの大きさを象徴している。
 おそらく数年以内に必ずや全国区となるであろう、実力を備えたこの作家の新作展を一人でも多くの人に体験して欲しい。そこにあるのは紛れも無く、あなた自身の記憶の奥底に眠る何かであるから。