neutron Gallery - 大舩 真言 展 - 
2006/4/24Mon - 5/7Sun gallery neutron kyoto
ニュートロンアーティスト登録作家 大舩 真言 (平面)

ニュートロンでは通算3回目となる登場、すっかりお馴染みの人気作家。 日本だけでなく海外でも作品の評価が高まる一方で、常に新しい試みを見せる。 今回は滋賀県の「NO-MA」で行われる企画展と同時期に新作を発表。 深く陰影をたたえつつ宝石のように輝く画面は見る物を魅了して止まない。 お見逃しなく!





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 京都・大阪・東京、そして海外ではフランスを中心に活躍する気鋭の作家、大舩真言の個展を開催するのは今回で3度目となる。彼をどのように形容するかは議論が分かれるところであるが、一般的には「日本画」的な作風であると言ったら分かりやすいであろう。なぜなら使用する画材や技法が日本画のそれらと同様であるためである。しかし、作品世界を「日本画」としてしまうのはいささか躊躇する。おそらく本人もそのような限定的断定は好まないはずだ。かといって彼の描く世界が「日本画」と遠く懸け離れている訳でもない。山紫水明をミクロ〜マクロの宇宙的スケールで表現するのは確かに古くからの日本画で試されてきた一端でもある。現代では(強いて例を挙げれば)千住博が近い存在かも知れない。一見して巨大な自然現象と見る事のできる画面に描かれているのは「自然」としての景色と言うよりもその奥の「現象」であると捉えた方がしっくりくる部分において。
 もう一つ、千住と大舩の共通点が有るとすれば、両者とも作品が額縁の中に留まらず、空間的に影響を及ぼすことを期待している点が挙げられる。絵画作品であることは揺るぎないが、一方で「存在」として展示空間との深い相互依存によって実現される「体験」を生み出そうと試みるのだ。言い換えれば平面上の絵画という性質と、彫刻あるいはインスタレーションとしての存在感を兼ね備えている、と言う事になる。そして空間との相互依存は決してお互いの足りない点を補いあうというレベルではなく、むしろ相互の特長を最大限に活かした上での「融合」と言える高い次元での話である。大舩の作品にしても、ニュートロンでの前2回の個展における大作はそのどちらも、展示後に東京の別会場において全く異なるライティングと空間設計に基づいて展示され、見事に作品それぞれの異なる魅力を映し出した。この事は何より、作品が空間に「頼って」成り立っているのではなく、自立しているからこそ、決して空間によって本来の性質を左右されることなく魅力を引き出されていると言う事であろう。この点において、大舩は実は昨今良く見られる若い作家の「空間頼み」の傾向とは一線を画しているのだと認識すべきだろう。
 大舩は空間のみならず、音楽やダンスといった要素と作品のコラボレーションにおいても新しい体験を起こそうと試みる。その行為が実はまた違った「作品」として成り立つのだが、それにおいては絵画としての自作は一つの役割を担い、大舩自身のプロデュースによって演出される広い意味での「作品」の構成要素となる。絵画という枠に捕われると、その画面の中において全てが完結すべきだとの指摘も当然ながらあるのだろうが、今の時代において枠組みを超えて生み出されるものが多いことを知れば、必然とも言えなくはない。だがしかし、今回の個展においての私と大舩の共通項としてのテーマは、インスタレーションとしての展示形態を取らず、この特徴的なギャラリー空間において敢えて「絵画」然とした展示を行おうと言うものである。つまりそれは、作品が有する世界観に引き込もうとする試みであり、作品が作品として外界に影響をどれだけ及ぼすことができるか、という試みでもある。
 近作では鮮やかで豊穣な色彩は影を潜め、極めてモノトーンに近い色調で陰影深く描かれることが多くなっているが、さりとて大舩作品特有の宝石の様な輝きは失われることなく、むしろ水墨画がそうであるように、繊細で表現力豊かな色として映る。確かな技術と表現力、そして新たな地平を切り開こうとするチャレンジ精神に満ちた作家は、日本という島国の絵画という狭い殻を破り世界へ羽ばたこうとしている。