neutron Gallery - 木築 義博 展 - 
2005/5/30 Mon - 6/5 Sun 文椿ビルヂング1階特設ギャラリー
ニュートロンアーティスト登録作家  木築義博(平面)

日々の感情を吐露して来た線はやがてイメージへと収斂し、平面という2次元の上で複数の時間軸を形成、進行する絵画を生み出す。時代性と匿名性をもって現代 に生きる多くの人々の共感を得るであろう作品は、漂泊された白に浮遊する。





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 木築義博にとって2回目となるニュートロンでの個展は、ドローイングの数量に押されて「作品」が完結して見えなかった前回とは大幅に趣を変え、自立した一枚一枚の「絵」が存在するという、極めてシンプルで本質的な展示になりそうだ。彼の作品は線を用いたドローイングが主な手法の為、スケッチブックにサラサラと描かれる日々の集積と、1枚のパネルに向き合って作られる「作品」とでは明らかな差異が生じるはずなのだが、実は前回個展はその差異が観客にとって(作者ほどは)明確でなく、支持体の違いくらいにしか思われなかった節もある。しかし精力的な制作と発表を重ねるにつれ、自らの垂れ流す「線」をそのまま見せるという行為はやがて否定的に捉え、意識して生み出す「作品」こそが最終的に自立してメッセージを放つべきだという心境に辿り着いたようだ。もちろんそれは日々の出来事や想い出、感情の記録としてのスケッチブックにおける「線」の集積を否定するものでは無く、それらを「見せる」ことに対してより重大な責任と、作家としての意識を感じるからこそ、切り離して扱うようになったのだろう。
 さて、従ってここでは彼の作品とはあくまでパネル及びそれに近い支持体に水性ゲルインクペン(いわゆるボールペン)とアクリル絵具や色鉛筆を用いて作成されるものを指す。近作で明らかに変化、あるいは進化している点としては、1本1本の線の意味が増し、モチーフとしての明確な描写が挙げられる。それらによって一画面に同時に複数の朧げな状況が設定され、しかもそれらは異なる時間軸に沿って展開されている事である。言い換えれば2次元としての「平面」の枠の中に奥行きではなく「時間」という軸を挿入したことにより、オリジナルな3次元を生み出しているとも言える。それらの状況や場面をイメージされる描写は匿名性を保ちつつ、かなり具体的なものになってきている。初期の作品群がペン先と指と抒情的な本能によって描かれるに任せていた傾向が強かったのに比べれば、近作ではそのような無意識による偶然を全く排除するかのごとく、極めて精巧にデザインされ、各シーンが配置されている。彼自信が述べているように、感情に任せて描くことが無くなったのだとすれば、それはまさに彼が静かに持つ普遍的な「何か」によって絵を描いていることになる。勢いでは無く、本質的・本能的な探究心によって。
 彼はもともと社会と自らの接点を模索し、時には苦悩してきたのであるが、決してそれに背を向けようとはしていない。描かれている事柄は当然の事ながら現代の様々な事象や感覚を共有している。しかし、あくまで見る者の自由を奪う程直接的にその事象やモチーフを「限定」してはいない。「誘拐」というタイトルの影響力が強いとは感じても、私たちがそれに捕われる必要は無いのであろう。いや、そろそろこの作家にとって「言葉」の出る幕が段々と減って行くのは明白である。線も言葉も同列に感情を吐き出していた頃とは違い、もはや計算された線が何かを「語る」のであれば、もはや言葉は必要無い。次第に明らかになってくる木築義博の抱える「何か」は、私たちの「それ」と共鳴し、シンパシーを起こすだろう。その時、引かれた線は記憶の中でゆっくりと動き出す。