neutron Gallery - つじうちようこ 展 『コヨーテの弁当箱のフタ』 - 
2004/6/1Tue - 6Sun 京都新京極 neutron 5F & B1 gallery

常に新しいコヨーテ・スタイルを見せてくれるつじうちようこが、今回は5階と地下の両会場で登場。それぞれの展示の違いも楽しみ!





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 「つじうちようこは「コヨーテ」という別名を持つ。正しくは、「コヨーテの作品をつじうちようこがプロデュースする」のである(注1)。もちろん一人の作家自身の変名に過ぎないのだが自らの作品を自らの別の名前をもって「プロデュース」するという言い方は、作品制作における客観的なスタンスと、その後の作品の展開を追っていこうとする意欲が滲み出ている。つじうちは作品はもちろん、市販の瓶やマッチなどあらゆる小物・雑貨類にその絵画的装飾を施し(本人はそれも含めて作品と呼ぶ)、販売している。彼女の人気はそういった作品の軽さ(軽快さ)のお陰も有るであろう。ファンにとって、親しみ易く日常の身近な「絵画」の存在はそれ自体が素晴らしい出来事であり、つじうちは可能な限りそのスタンスを貫こうとしている。ただ、世の美術界がそのような動向にどれだけ正しい評価を与えることができるかは未知数な部分が多い。活動にしろ、制作・発表手段にしろ、既存のスタイルに合致しないオリジナリティーがあるからこそ、認知される方法も独自のものになるであろうから。」
  以上は、去る2月に京都の石田大成社ホールにおける、ムラカミイズミとの合作展へのコメントを書いたものよりの抜粋である。さて、ニュートロンにおけるつじうちの個展は、1年ぶりとなる。前回は地下ギャラリーを使っての比較的オーソドックスな絵画展の様相ではあったが、床に石灰を撒き、コヨーテのキャラクター(人型の青い小さなもの)が至る所に出没している、というスパイスは欠かさなかった。彼女の表現はいわゆる絵画という枠だけで行われるものではなく、それがグッズや壁面の装飾に見えたとしても、全て「COYOOTEの絵画」というスタンスで同じく行われる行為である。その点、しつこいようだがご理解頂きたい。絵画作品があっての商品展開ではなく、全て形あるもの、表現として制作されるものは等しい価値を持ち、同じベクトルで放たれている。そういった形態、性質はつじうちの表現を語る上で必要不可欠の要素であり、そこを無視して絵画としてのパネル作品に入り込み、解説することも難しい。パネルに描かれていようと、小瓶に描かれていようと作品として成り立つのは、一つはそのパーツが独立しているからであろう。例えば人物、鳥、数字、ライン(線)といった事象はそれぞれ配置を変え、色を変え、至る所に登場する。ここ数年で登場するモチーフは有る程度固まってきたようだ。問題はその登場の仕方、タイミング、大きさや数であり、その場面場面に応じて必要な物が選びだされ、配置され、描かれる。デザインの領域に近いのは、この「配置」という要素のせいか。あくまで二次元的な描写は「平面」におけるアプローチであり、立体や動画を連想させるものとは違う。「コヨーテ・ハウス」は自作の家としての作品だったが、あくまでもその使い方は壁や屋根に絵を描く、というシンプルな行為であった(家(小屋)自体ももちろん制作したのだが)。室内装飾としてのインテリアと並列で存在し得るのも、この平面性があってこそだろう。実はこの、「家」「インテリア」というキーワードこそ、現在のつじうちを語る上で最も重要なものかも知れない。住むのはもちろん、あなたであり、コヨーテでもある。つじうちは多分、アーティストとしての自分の居場所を求める意味でも、「住む(棲む)」ことにこだわる。世の中に迎合するではなく、あくまで自分のスタイルで棲息することを目的としそこから生み出す表現によって人に楽しみを与える、そんなライフワークとしての夢を持つ。今回は5階と地下、それぞれ性格の異なる部屋を与えられ、どうコーディネートするか。これから先、つじうちの本当の意味での真価が問われることになろう。そんなきっかけとしての今回の個展は、「絵画」というちっぽけなフレームの遥か先にある。