neutron Gallery - 小倉 正志 展 『 艶めく都市の鼓動 』 - 
2004/3/23Tue - 4/4Sun 京都新京極 neutron B1 gallery

都市の印象を描き続けて来た画家、小倉。自身のライフワークとも言える作品群 は過去の作品から新作まで網羅した集大成とも言えるもの。時に激しく、時に優しい 画面に写るのは人と情報と喧噪の行き交い、ビルの立ち並ぶ「都市」。エネルギーの 放出、溶解、再生・・・。今こそ感じてほしい、現代文明の姿。





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

  私と小倉さんとが初めて出会ったのは、今からもう7年近く前の話であろうか。当時、大学を卒業してアルバイトをしながら写真を撮り、個展などを催していた私が、その会場でもある恵文社(京都・一乗寺)ギャラリーにてたまたま見かけた作品展を開いていたのが、小倉さんであった。その時の印象は、現在のように大画面の作品は少なく、一見コラージュやデジタル出力のようにも見えた何ともアバンギャルドでポップなものであった。年齢はちょうど10歳離れているのだが、小倉さんは確かに見かけは年相応であったとしても(失礼)、作品とその世界には極めて若さと言うか斬新さを感じた。仕事でホームページ作成、広告等に携わり、出版や芸術分野とも関係の深い理由からか、小倉さんは自身の経歴として10年程作品制作から離れていたとはいえ、そのブランクを感じさせないくらい精力的で現代的な方であった。もちろん、現在でもそうである。私たちはお互いにこの7年の間、自分の信じる道を歩んで来たという自覚・自負が有る。私は小倉さんと話す時、その年齢差や立場の違いをほとんど感じたことが無い。希有なことかもしれないが、いわゆる芸大や美大を出ていないけれど何より表現を愛し、精力を傾けて来た者同志の信頼関係のようなものが、きっと有るのだと思う。そう言えば私がニュートロンをまだ立ち上げる前、ずっと以前に、小倉さんのアトリエを訪ねて一日の中で彼が1枚の絵を描きあげる様子を私が写真に撮る、という時間を過ごしたことがある。最初は照れていた小倉さんだが、画面に向うと間もなく言葉を発せず、もくもくといつも通り絵を描きはじめる。私も最初じっと様子を伺いながら、たいして話し掛けるでもなく、距離を置くでもなく、ごく当たり前にその場所に存在する者として、写真を撮り、時間の流れ、作品の流れを追いながら計5本程のフィルムを使った。そして、冬なのにぽかぽかと暖かい日射しが入り込むそのアトリエの窓の日光が時間と共に傾き角度を変え、まさに作品もクライマックス、いよいよ完成という時に、その絵の画面にぴったりと光を投げかけ、あたかも計ったかのように作品と撮影とその場の二人の空気が頂点に達し、そして緩やかに醒めていったのを今でも鮮明に記憶している。その時お互いが話した雑談の内容等は覚えていないが、その経験は貴重で素晴らしいものであった。そしてその頃小倉さんが取り組んでいた百号を超える作品は今でも彼の作品の中でひとつの代表作とも言えるピークを迎え、作家として次第に認められて行こうとする時期でもあった。そして現在。私は彼をはじめ様々な友人知人を頼って現ニュートロンを発足し、多くの若者の作品と触れ合えるようになった。その間も彼とは数カ月の間を空けることなく会い、話し、お互いの近況とたわいもない野球の話をしながらも、常にギャラリーの在り方、アートについて、語り合って来た。現在でもホームページにコラム原稿を連載中である。そして何より、小倉さんは最初に会った時から全く変わり無く、穏やかで、シャイで、それでいて熱意の有る、面白い人である。作品はどんどんスケールを増し、いつ見てもシンプルで、奥が深く、そのイメージの広がりは無限である。日頃難しい文章やコンセプトに取り組むことの多い私も、彼の表現しようとするものには多くを語る必要は無いと感じる。彼を推薦する諸氏が書かれることで充分であろう。しかしながらあえて一つ付け足すとすれば、小倉さんは年齢とキャリアを重ねつつ、とても純粋な子供のような目線で「街」と「人」を見ているということだ。ニューヨークの「9.11」以降、図らずも彼の作品に対する見方も変わった。今までの都市礼讃との捉え方から、争いや爆発、再生などがキーワードとして語られるようになった。小倉さんもそれを自覚しながら制作を続ける。だが、彼の作品は根本的に変わらない。深い洞察力おおらかな心によって広げられる彼の世界は、彼が常に見据える雑多な情報と人と物と出来事の集積したエネルギー体としての都市であるが、同時に、彼は今でも、その出来事をぽかーんと指をくわえて眺めているような、幼い少年の眼差しを向けている。そんな気がしてならない。そんな小倉さんの絵が好きだ。