neutron Gallery - 友繁典子 展 - 
2004/2/9Mon - 15Sun 京都新京極 neutron 5F gallery

「煙」をモチーフにイメージの見立てやその存在感によって心の動きや気の流れ、 ものの形の不確かさを表現する。久しぶりの個展となる今回は立体インスタレーショ ンとドローイングによる展示。


 



comment
gallery neutron 代表 石橋圭吾

 煙という気体を、立体にして見せる友繁。その佇まいは頼り無さげでありつつも凛とした存在感を醸し出し、気体という概念を超えて私たちに煙そのものとして語りかけてくる。野外でのインスタレーション(有機的環境)も、室内での彫刻的発表(無機的環境)もどちらにでも対応して(あるいは呼応して)、煙は様々な表情を見せる。

 実際の煙は、湯気であろうとタバコの煙であろうと、あるいは工場の排気であろうと、その瞬間の姿を留めることなく、流れて消えていく。煙のたつ元は筒状のものであり、それは空気の出入りによって呼吸するかのように煙を吐き出す。私たちは、その単純で当たり前の光景にどこか愛着を感じてはいまいか。それは単なる現象としての煙にでなく、その発生源における火や熱(暖かみ)の存在、ひいては人間の存在を感じさせるからであろうと思う。

 一方、煙という物質にも有機的なイメージを当てはめることができる。ユラユラと漂う様ははっきりしない朧げな表情を見せ、一斉に吐き出される煙突の煙は憤怒やエネルギーの噴出と直結する。かくして煙は人間の感情表現にも用いられ(マンガやイラスト、さらには映像表現においても)、その記号的意味は知らずのうちに我々に刷り込まれている。

 友繁の作る煙は、物質としては固体である。煙としての容態もしっかりと形作られ、朧げというよりは確かな手触りを感じさせる。しかしながら、その表情は千差万別である。光の加減や見るものの立ち位置、その精神的状態によって印象は異なるだろう。それこそが存在していながらつかみ所の無い、煙そのものの姿である。