neutron Gallery - 福島 菜菜 展 『百年、待っていてください』- 
2003/10/8/25Mon - 31Sun 京都新京極 neutron 5F gallery

夏目漱石の小説、夢十夜の「第一夜」を考えながら描いた新作。百年待つとはどういう気持ちなんだろう。なぜ、待っていられるのだろう・・・。幻想的に織り成すファンタジー。合わせて、今までの作品も展示。

  

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gallery neutron 代表 石橋圭吾

サブカルチャーとアートとの融合が語られ出して久しいが、もはや論じるまでもなく、日本はその両方に於いて世界に突出するバックグラウンドを持つ。そして現在中堅〜ベテランの作家が扱うそれらの二つの接点(モチーフになるのは両者の関わり)は、既にそれより若い世代にとっては、悲しいかな問題として扱うことさえ疑問が生じる程、自然なものとなっている。言い換えれば、「当然」の結果が氾濫し、「スーパーフラット」な感覚・視点を持つ世代には「融合」や「実験」も目新しさを引き起こさなくなりつつある、と最近思えてくる。例えば、日本の漫画に代表されるサブカルチャーの表現のクオリティーは、ディズニーのアニメ映画さえ拙いものに思えるほど高く、一方で現代アートにおいてもここ数年話題を振りまく作家はほぼ常に新進/新鋭の作家であり、彼らは疑問や問題提起を飛び越えて、本能的にダイレクトにその「サブカル」的発想をいかんなく発揮している。がしかし、それらを論じる側がどこまでその視点に立てているかは、疑問が残る。その結果、作り手であり楽しむ側の若い世代と、企画をし、導いていく側の世代との距離は実は大きく開いているようにも見える。そしてこのようなギャップを感覚的に飛び越えられたとしても、客観的に評価し、あるいは評価されることは極めて難しくなっている。しかしながらまた、その数多くのアイデアとコントロールを失う程の価値観の氾濫の中で一際目を惹くとしたら、やはりそれはどの世代にもアピール出来得る、可能性を秘めているとも言える。

そんな現在の目まぐるしい回転の渦に巻き込まれずに、福島は存在している。もちろん、前述の若い感覚は年令相応に持っているのは言うまでも無いが、とてもゆったりと、流れるように作品を生み出しているように思う。画面はダイナミックなうねりを感じさせ色彩も時に激しく、有機的なイメージを発している。しかしそこにちょこんと登場する小さな生きもの達は、なにくわぬ顔で飄々と佇み、踊っている(ように見える)。うっそうとした深い森の、生命の息吹が充満する中で何やらかわいらしく記号的な言葉を発する生きもの達。連作「鯉」の一画面はこんな風である。福島自身が意識しているという画面の「流れ」(意識、気配もそうだが画面がアニメーションのように動きそうな感覚)は作品に現れている。ひとつひとつの作品にストーリー性があり、アニメーション的であり、絵画的である。アニメーション映画の制作においては、背景と成るリアルな画面の上にキャラクターのセル画を配置して動かすが、そのリアルな背景が極彩色の油絵となり、そこにキャラクター達が動いている・・・そんな風に見ることもできる。もちろんそれが福島の全てでは無いし、実際、この初個展となる展示では過去の作品から未公開の新作シリーズ(夏目漱石の小説をもとにイメージした作品群)まで出てくるので、技法やテーマを縛り付けて語るのも無理が有る。新作は日本画的色使いと、人物画である部分において新境地ともなっている。まだまだこれからの作家であり、試行錯誤と吸収の余地がいくらでもあるのだが、あえて解釈するとすれば、当然の産物でとして、アニメーションの世界も、幻想小説の世界も、現実の世界も境なく作家に影響を与え、そこから生まれるイメージは境界線や分類を求めない。

福島菜菜は絵画作品以外にも、デザインや舞台美術においても活動が見られる。これもまた、表現の領域の可能性を感じさせる。今後が楽しみな作家である。