neutron Gallery - 西川 茂 展 - 『in between』
2011/5/10 Tue - 29 Sun gallery neutron kyoto (最終日21:00迄)
ニュートロンアーティスト登録作家 西川 茂 (平面)

「アートフェア東京」で鮮烈な印象を残し、いよいよその評価が高まり注目を集める西川茂。
直後に東京・京都と続く個展では新作を発表し、世界観の確かな広がりを見せるだろう。
人間の感覚を超えた体感を、二次元の絵画というメディアに表す上で生まれるアイデアとトリックは世界の空を一つに繋げる重要な役割を担うべく、繰り返し繰 り返し登場する。
魔法のような絵画面に描かれているのは、私達が未来に経験する「何か」の予感かもしれない。

★この展覧会は「neutron kyoto」最後の展覧会となり ます。一人でも多くの方々のご来場をお待ちしております。

 
「Daisen+Oizumi」 2011年
1450×1760mm / oil, beeswax on hemp, panel


comment
gallery neutron 代表 石橋圭吾

  今これを書いている時、まさに東北から関東を襲った地震の二日後である。未だ被災の全容は見えず、原発の脅威も去らぬこの瞬間に思いを馳せるのは、人間が生きるにあたって最低限必要な「もの」であり、アートではない。

  しかし、それでは私達が日頃取り組むアートが全くの無力であるのかと言えば、もちろんそう悲観する必要は無い。ただ被災直後の差し迫った状況で力を発揮する事は出来ないと言うだけだ。人間が人間のために行う物事は、その必要とされる時期や質量が異なる。アートがその力を発揮するのは、今進行中の緊急事態が収束に向かい、次第に人々が日常に戻り、とんでもない被害に遭った当事者以外の人々の中から記憶や印象が薄れていく、まさにその瞬間からでは無いだろうか。アートは人間が体験する事象を基に生み出されることが大多数だとすれば、この悲惨な経験から生まれる新たな価値観や思考は必ずこれからの人々の行き方に影響を及ぼすだろう。アートはその一助となるだけでなく、後世に記憶を蘇らす意味で記録的な役割をも負うべきであり、今までの歴史を見てもそれを果たしてきた事は言うまでもない。

  人間の体験は時に言語やあらゆる手段も及ばぬ衝撃を与え、体感した者しかそれを表すことは出来ない。それは災害に限らず、良い事も悪い事も、本当にその人にとって(あるいは家族・集団・世代にとって)重要で忘れ得ぬ出来事は、写真や映像においてはほんの一握りの情報しか映されず、多くは言葉によってどうにか語り継がれるものではあるが、もしかするとアートはその継承を目的として生まれたとは言えないだろうか。絵画や彫刻、インスタレーションの多くは社会的あるいは個人的に見過ごせない何かの原因に由来し考案され、作家のメッセージと共に普遍的な影響力を秘めた表現として生まれると考えることは出来ないだろうか。無論、平和な時代が長ければ発端は個人的思考・感情・人間関係などに由来するものが多くなろう。現に今この時までの日本の新しい表現のほとんどはそうである。しかし一度戦争や大災害に見舞われた後、おそらくはアートに現れる事象も大きく様相を変えるであろう。即ち、人間が何かの「事後」に生み出す物事は、リアクションであり、カウンターであり、だからこそ時代は出来事の連続によって変化すると思うのだ。

  西川茂は自身の個人的な体験を基に絵を描き続けている。かつて留学先のアメリカで見た広大な地平線と空の広がる、途方も無い風景。日本の狭苦しい空や陸地とは違って、見渡す限りに展開する「何も無い」景色は彼に想像以上の強い印象を残した。やがて日本に戻ってから、彼はアメリカの空も日本の空も、一つの同じ地球上の空であることを思わずにはいられなくなる。人によれば、「それがどうした?」で終わりそうなエピソードであるが、彼にとってはその体験こそが見過ごせない、超感覚的な出来事であったのだ。おそらくは目の前に広がる広大な地球の表層に対峙しながら、彼は一人の人間としての無力感と存在の小ささを感じ、途方に暮れたことであろう。しかし同時に、この地球上には人間の及ばない領域があるということも知ったのだ。私達が普段頼りにする視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感を超えた感覚は、言わば全身全霊を震わせて感じる「体感」あるいは「感動」と呼べるものではなかったろうか。この両者は今の時代に実に安っぽく使われているが、本質的には人間の根幹を揺さぶる現象に捧げるべきであり、まさに西川茂が得た感覚そのものに相応しい。

  彼はその感動を忘れず、自身の経験の「事後」を描き表し続けているには違いない。しかし同時に、彼の描く光景は全てフィクションであり、現実の記録としての度合いは低い。西川茂は広大な・途方も無い空間の広がりをヘリコプターとトンボのモチーフを共存させることにより実現し、見渡す限りの花畑はそれを補充する。さらに「world」と題されたシリーズでは世界の国と地域の数(203)を目指し、40×40cm の「何処かの空」を描き続けている。もちろんそれらは全て異なる色と表情を持っている(ついでにヘリとトンボも存在する)。そして昨年、ついに彼の世界観を完全なるフィクションとして表す作品が登場した。「terrestrial」と題された、画面の上下に異なる地域の風景が描かれ、その両極を空が歪みながら繋げている風景である。それまでの作品は、奇跡的に(描かれている)光景を目にする機会が無かったとは言い切れないが、「terrestrial」に関しては全くその可能性は無い。西川茂が自身の体験を基に生み出した完全なるフィクションであり、しかしそれは彼の得た超感覚を最も具体的に表したものでもあるだろう。そして何より、私達はこれを「事後」の作品としてだけでなく、人類が歩む未来に対し何らかの予感やヒントを与えてくれる、「事前」のものとして見る事もできるはずだ。

  「世界の空は繋がっている」-そう言葉にするのは容易いが、実際の体感無しに理解するのは難しい。西川茂の画面は無言のうちに世界の空を繋げてしまっている。