neutron Gallery - 林 大作 展 『 GAME画面物 』 -
2010/2/16 Tue - 28 Sun gallery neutron kyoto (最終日21:00迄)
ニュートロンアーティスト登録作家 林 大作 (陶立体)

若手陶芸作家の新しい試みが注目を集める中、京都精華大学から期待の新鋭が飛び出そうとしている。

林大作はプラモデルからテレビゲームまで、幼少から大人に至る過程で親しんできた娯楽を陶芸と近づけ、バーチャルな世界を現実的質感で現すとともに自らの記憶の手ざ わりも求めようとする。

ゲーム画面に登場するキャラクターやアイテムは、私達の眼前に懐かしさをもって初めて姿を見せるだろう。





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 最近久しぶりに「機動戦士ガンダム」を見る機会があり、改めてその内容の質の高さと子供の頃には感じる事のできなかった場面描写の細部に見入ってしまった。一方では忘れかけていたモビルスーツ(登場するロボット型戦闘マシン)の名称を俄に思い出し、悦に入ってしまったのも事実。昨年、年男を迎えた私達は「団塊ジュニア」の世代と言われ、幼少期の娯楽と言えば野外でのスポーツから漫画、ファミコンまで実に多岐に渡り、非常に充実していたものだと今更ながら思い至る。中でもアニメの隆盛は忘れられないものであり、ガンダムはもちろん、キン肉マンやキャプテン翼、あられちゃんからドラゴンボールに至るまで、誰もが共通の話題として楽しむことが出来たのもまた幸せな事であったと思う。

 ガンダムは今でもシリーズが続いており、お台場には実寸大の模型が登場したこともニュースとなった。やはり時代を経ても印象と記憶に残るものは復活するのだろう。神戸では鉄人28号が負けじと屹立したのも象徴的である。野球少年だった私はファミコンは買ってもらえず仕舞ではあったが、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)やキン消し(キン肉マン消しゴム)は当時の宝物であった。子供にとってアニメやおもちゃは後々にも多大なる影響を及ぼす、不可欠な要素である。テレビを禁止されていた子も中には居たが、親がどう考えようとやはり子供には子供なりの見るべきテレビ番組があり、時代を超えても受け継がれるものを知っておく必要はある。4歳になる私の甥や5歳の姪がどちらも揃ってウルトラマンに大興奮している姿を見るとき、その文化的価値を見出さずにはいられない。

 ここに登場する林大作は私より一回りも離れた次世代の作家であるが、彼もまたゲームやアニメの影響を多分に受けた真っ当な大人子供の一人である。そして彼が志しているのは、旧来のイメージを覆す「陶芸」であり、それはまた既存の陶器やオブジェの在り様を軽やかに逸脱することから始まる新しい陶の試みとも言える(注:一昨年あたりから「週間モーニング」(講談社刊)誌上で人気の陶芸伝記漫画「へうげもの」を発端とした若手陶芸ムーブメントが人気を集め、各地で展覧会を成功させているが、いずれも温故知新を掲げ新しい陶の試みを打ち出す若手作家達であることに留意しておきたい)。林大作は陶芸を自身の表現の手段として肯定しながらも、同時にその在り様は従来の陶芸のそれを否定することによってカウンターカルチャーたらんと示している。その象徴的な要素として、彼の選ぶモチーフにはフィギュアやゲームといった娯楽的存在が選ばれ、超合金やプラスチック、FRP、はたまたデジタルで二次元的に存在してきた姿や形をあえて陶で再現・再構築することにより、まるで立体造形そのものの根源的な面白さを確かめながら、自身の娯楽ルーツも探っているようでもある。

 彼は卓上に数多の陶オブジェを配列することにより、限られた空間における箱庭的インスタレーションを得意とする。それはまるで、GI ジョーやレゴブロック、はたまたプラモデルの戦隊に夢中になった子供の記憶とリンクするように、自在で奔放なインスタレーションでもある。自らが設定するロケーションやストーリーは自らの勝手気ままに許されるものであり、舞台演出家よろしくいくらでも派手な合戦を繰り広げることも、あるいはじっと沈黙の夜を過ごすことも出来るのだ。そこに必要なのは道具に依存しない豊かな想像力と、自らの手で握る感触から受ける刺激への感受性であり、モニター画面上のバーチャル空間から得られるものとは決定的に違う質感なのである。彼がこの個展で現出したいと思ったのもまた、本来ならデジタル造形とも言えるゲーム上のアイテム(素材、宝物などを示す)達であるのだが、私達はそれを実際に手に取ったことも無ければ様々な角度から眺めることも果たしてこなかった。しかし確実に、私達の脳内には既視感とともに懐かしさとも言える親近感が生じているのも見過ごせない。初めて向かい合う物は既に何度も手に入れたはずの物…。その矛盾こそ今の時代に蔓延するバーチャル依存症(テレビゲーム、携帯電話、通信販売やインターネット全般の悪しき効能を総じて)を解きほぐすヒントになりはしないだろうか?

 私達の感覚は決して、視覚だけでは研ぎすまされることは無いのである。