neutron Gallery - 横溝 佳代展 『すこしざわめく』-
2008/8/5 Tue - 17 Sun gallery neutron

成安造形大学・住環境デザインクラス出身という異色の経歴を持つ新人が、ニュートロンでの初個展に挑む。フラットに見えて実はパースペクティブな要素も併 せ持つ不思議な平衡感覚と、冷めた色調によって、現実味の乏しいがかすかな体温も感じさせる、日常の「際(きわ)」 の様な光景を描き出す。お盆の前後の期間とあって「納涼」をテーマに、ひんやり感じる絵画 と展示空間を現出させられるか。
(キュレーション:桑原暢子)




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gallery neutron 桑原暢子

  画面上に度々現れる階段。この階段は同じ階段なのか、はたまた違う階段なのか。この階段は下に降りる為のも のなのか、それとも上へ昇る為のものなのか。階段とはそもそも下から上へ、もしくは上から下へと移動する為のものである。最後まで昇って(もしくは降り て)みなければ、到達地点の景色は見えない。到達地点のまだ見ぬ景色に想像を巡らせる…階段とはある意味、冒険ではないか。また人生において成長するとい う比喩表現として「大人の階段」というように使われたりもするが、横溝が描く階段は何かを意味しているのか。それとも物理的に移動する為だけの存在なの か。だとしたら彼女の絵画に現れた数々の階段はどこかに通じているのだろうか。通じているならばどこに辿り着くのだろう。それは全て同じ場所なのか、それとも違う所なのか。果たしてそこにはどんな景色が広がっているのか、いないのか。

  そんな想像を繰り返しているうちに、なぜか寂しい疎外感にも似た感情が沸き起こってくる。彼女の描く画面には感情の希薄さが色濃く出ている。矛盾してい るようだが、明白な感情の希薄さこそが画面上を覆い尽くし、明るい色調の画面に寂しさにも似た静けさをもたらしている。「こちらにおいでなさい」と手招き する程たくさんの要素を作品中にばらまいておきながら、最終的にはこちらを受け入れない壁をそのようにして作っている。そのくせ感情の希薄さ、欠如が頼り ない表情を醸し出すので、こちらとしては放っておけない状況を作る。しかし、最後には拒絶されるのだ。だが観客は拒絶されていることに気付くことが出来な い。侵入を拒否されているような感覚を持つものの、それがまさか自分が誘われ入り込もうとした画面そのものに拒絶されているとは、気付くことが出来ないの である。それはまるでのっぺらぼうの顔面に描かれた「目」らしきものの奥を覗き込む様なものである。どれだけ美しく、どれだけ精巧に描かれた目だったとし ても、「描かれている」以上、その瞳の奥には何も無く、表情が欠如したそれらしいものという存在でしかないのだ。奥へ奥へと入り込み、深く繋がりたいのに 拒否されてしまうという、その歯痒さ、切なさこそが彼女の作品の醍醐味なのである。

  今回のテーマは「納涼」である。涼しさを表現する為に、作品と作品との間にある物理的な空間をも一つの要素として取り入れた、すっきりとした空間を演出 したい。それはつまり小説において行間を読むといったような展示であり、白い壁をも作品の一部として存在させる展示である。彼女の作品には先程も述べたよ うに、必ず同じモチーフが登場する。同じモチーフが違う画面にも描かれることによって、一枚の絵画、一つの画面の中だけで物語が完結するのではなく、複数 の画面によって物語が構成されるのだ。だがそれら複数の画面が、各々密接に関連していることがはっきりと分かるような関係性を示唆するものはない。しかしそこに描かれた重複するモチーフ、連続している形が見る者にその関係性を考えるように促すと同時に、それらの間に漂っている空気までも感じ取るようにと誘っている。

  夏の風物詩であるうちわも、金魚も、かき氷も登場しない。目で涼むという要素は、画面の寒色系の色調だけであり、露骨なものではない。しかしフラットな 画面を見ている間にじんわりと感じる不安定な感覚。これこそが、彼女から発信される「涼しさ」なのではないかと思う。一味も二味も異なる横溝流夏の夜の空 気を感じて頂きたい。