neutron Gallery - 石垣 倫生 展 - 
2007/6/26Tue - 7/8Sun gallery neutron kyoto
ニュートロンアーティスト登録作家 石垣 倫生 (絵画)

踊り、くねり、叫び、熱視線を投げかける女性と金魚の奇妙な組合せ。
原色の強い印象の色彩と不思議なモチーフによって幻覚の様に見えつつも、そこに描かれているのは女性に対する深い憧憬と崇拝に近い感情か。ニュートロン初登場となる作家が渾身の力作をもって登場!病み付きになること間違い無し・・・?





comment
gallery neutron 代表 石橋圭吾

 異様である。一言で言えば、石垣の筆によるこれらの絵は何を目的としているのかを辿る前に、私達は極彩色の中に踊り、叫び、主張する女性と金魚のモチーフの前にただ口をぽかんと開けて佇んでしまう。間違い無く確信犯である。その意図は大きな渦を巻いて日常に潜んでいる白昼夢を表すものであり、一方で軽やかに時代を闊歩する女性を大胆且つ繊細に表す風俗画的な側面も持つことは否めない。そしてこれを表現するのが今をときめく若き女性作家ではなく満40歳を迎えるオジサン(失礼!)だと言うのも、魅力的ではないか。
 女性と金魚というモチーフが登場したのは2004年頃からであるが、一貫して女性という存在は欠かせないものであった様だ。しかしそこに描かれているのは性的な要素ではなく、精神面に考察を加えようと試みる態度であり、しかも何故か日本の女性像とは少し離れた金髪のモデルばかり登場する為、社会的と言うよりはカントに代表される西洋の精神医学や哲学を思い浮かべてしまうのは私だけだろうか。どこか夢見がちなティーンは怖れと熱狂、ヒステリーとエクスタシーを内包して描かれており、さらにそれらの衝動をあおる様にふんだんに用いられる原色によって、まるで幻覚を見せられているかのような気に陥る。だがふと我に還って見ればその光景はあまりにも滑稽であったり、空虚であったりと掴み所が無い為、ドシンと感じた重量感がスルスルと手元から逃げていく様に感じることにもなる。結果、これらの絵を眺めていると作家の提示するコンセプトに関わらず、私達は不安と焦燥と激情に掻き立てられ、髪の毛が一瞬でも逆立ちそうになる。対照的にとぼけた金魚の存在が画面にユーモアと対比の構造を生み出し、もちろん女性の装飾性や人工的な美の追求を暗示している点では、作品世界のコンセプトを制限する役割も果しているのだろうか。いや全く逆に、金魚の踊りに煽られてさらに女性達が魅惑的に輝き出すのか、今後の両者の関係性も非常に興味深い。
 そして金魚の登場以前のシリーズにも、実はまだ未完の要素が沢山見受けられる。先述の西洋の精神医学・哲学を想起させる寓意的な女性の存在、つまりはアイコンとしての女性像は現シリーズではあまり深入りされていない様にも見えるし、同じく少女性についての考察も行われてしかるべきだろう。モデルの年令が、という事でなく、女性における永遠の少女性あるいは処女性も、いずれ再びこの画面においてクローズアップされるのだろうか。
 あるいはまた、石垣作品の特色とも言える黄色が、近作では明らかに減少してきているのも気になる。黄色は注意を喚起し、精神的な不安定さを表すとされる。では最近の石垣は安定志向だとでも言うのだろうか?私は個人的には今回のニュートロン初個展において、灼熱の黄色を見てみたいと願っている。
 詰まる所、この作家の本領はまだまだこれから発揮されるものであろうし、現代において明らかに異端でありながら、直線的に何かを追い求めている姿は大変興味深い。最後になったが描画における技法の変化も見逃せない。線と塗りを巧みに操るそれは時に漫画的でもあり、洒脱である。さあ、まずはこの幻惑に浸ってみようではないか!