neutron Gallery - ヤマガミ ユキヒロ 展 - 『 Light Scape 』
2007/4/3Tue - 15Sun gallery neutron kyoto
ニュートロンアーティスト登録作家 ヤマガミ ユキヒロ (平面)

絵画に対する深い愛情と、それを乗り越えようと試みる姿勢。 常に新たな要素を取り込んで表現を模索する作家の、待望の個展。 都市に生きる私達が目にしている空は、鈍色に輝き、時に清清しくも映る。 光を用いた写真、映像などの新作群を意欲的に並べる。 ストイックだからこそ美しい、ミニマルでエモーショナルな作家の心の空を見よ!





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 彼がニュートロンで個展を行うのは、実に2004年の春以来、3年ぶりとなる。当時、ヤマガミユキヒロの名を一躍知らしめた絵画に映像を投影する平面作品から、次第に音や光といったミニマルな要素を抽出する動きへと幅を拡げていた頃。しかし彼はその後も「求められる」作品のタイプと自らが探究しようとする領域の少なからぬズレ、それによる制作と発表の少なさ(機会の乏しさ)によって、忸怩たる思いを重ねてきた。個展という形態で言えば2005年の『Night Watch』(ギャラリーそわか / 京都)以来、やはり遠ざかったままであるのだ。今は無きそわかの大きな空間を利用し、彼は一つの部屋には巨大な絵画+映像プロジェクションの作品を発表、地下室の空間ではその奥に隠された階段のさらに奥を連想させる、光と音声だけのインスタレーションを行った。ヤマガミの得意技と新境地を同時に発表したのだが、しかしその個展はなぜか彼の満足がいくほどの評価はされなかった。
  ヤマガミユキヒロは京都精華大学の洋画専攻を卒業し、早くから古典〜現代美術における「絵画」というものの歴史と存在に敬意を払いつつ、一方ではそれを否定するかのごとく写真や映像、インスタレーションといった領域に足を突っ込んでは絵画の狭苦しさを取り払おうとし、あるいは絵画に対する愛着を募らせたりもしてきた。彼は私の理解する範囲では極めて優れたぺインターであり、大学の外に出て発表を始めた頃から今に至るまで、彼の描いてきた絵画には私たちの生きる都市の状景が見事に反映されており、それは描写の上手だけで無く、灰色がかったスモッグのような空気が漂う画面、行き交う車や人の動き、その中で客観的に静止している視線が見事にバランスを保っている。彼はおそらく今後も、人里離れた山奥に隠って神の作り出した山河を描くことは無いだろうし、そもそもそのような土地で隠遁しようとも思わないだろう。彼はいわゆる現代人であり、多くの人間に囲まれて煩わしさを感じつつ、それが無ければもっと強い寂しさを覚える人間である。絵画というクラシカルなジャンルに対する固執と人間に対するそれは、間違い無くヤマガミユキヒロの制作全般に影響を及ぼしている。
  先述の通り、近年は音や光といった最小限の要素を用いての発表が多く、実際に絵画作品の割合は減っている。ニュートロンでの前回個展(2004年)においても、街中のカフェで録音した周囲の話声を抽出して文字データ化し、一つの壁面いっぱいに巨大な字幕としてランダムに投影(音声も放送)した。彼はいつも、ある一定周期ごとに最近の制作テーマと考案中の展示プランを提示してくれるが、次に会う際には必ず何かに変更が加わっている。絵を描くことにおいてはひたすらに手を動かすことを信じれば足りるが、別の形態を取る時、彼の制作者としての確信と不安は最後まで彼自身を安心させず、結果としてギリギリまで最善の方策を探させることになる。それだけ、ストイックで美術好きな男であるのだろう。
  今回の『Light Scape』と題された個展では、紆余曲折の末、いくつかの作品を展示させる。どれもが「光」を用いた映像的な作品であり、やはり絵画ではない。しかしモネの名を出さずとも睡蓮のモチーフを見れば絵画への執着は感じずにはいられないし、あるいは何も写っていない空(実は都市の風景写真の一部を切り取ったもの)からは人間と都市の息遣いを思わずにはいられない。回りくどいが、やはり彼は現代の生っ粋の絵描きなのだと言いたい。