neutron Gallery - 山口義順 展 『LOOP_HOLE』 - 
2004/6/8Tue - 13Sun 京都新京極 neutron B1 gallery


Artist , Works

【 作家、作品紹介 】

LOOP_HOLE

  生産過剰の世界からのヴィジュアルが走査線を往還している。ヴィジュアルの流れは、一律のリズムを保ちながら高速に押し寄せてくる。あらゆるものが受け手にとって労力を使わず、アクセス可能になるこれらの波は、観者に適度な刺激を感受させながら、一方で、その波の過度な繰り返しと、受け取る時間の束縛もないそれらのヴィジュアルは、人々を無関心へと導く。個の無関心さは、見る人にとって対称として存在するものが無くなることであり、対としてあるはずの社会は不在となる。しかし、私達は個として存在していると知覚しようとしている。そこでの有効な機能とは、そのような視覚的無関心であり、隔たりを取り除くことによって、身体的感覚を欠如させることではないだろうか。

  私の作品は、それらの走査を通過してきた報道機関のヴィジュアルを使用しているが、全て演出された映像であり、その映像の内容については、作家として対抗することはできない。しかし、見るための装置に目を向けることにより、私達が抱くイメージに対する価値観の現状を、リアルではないと感じることを改めて知覚することができるのではなかろうか。高解像度にみえるヴィジュアルや、媒体のデータとしての非物質化を通して知覚している速度から独立した時間を創り出すことによって。
  そこで私は、実は低解像度で送信されている動画映像に対して、それらの動画像を液晶プロジェクターで投影し、一枚の高解像度スティルとして印画紙に定着するプロセスを経過する。このプロセスは、観者としての私と装置との距離を介在せずして、自ら発光しているようにみえるヴィジュアルを<見せる>装置ではなく、光を反射しているかのような<見られる>装置に置き換えられたヴィジュアルをもたらす。ボディーが現われたかもしれないし、コード化されたヴェールがボディーに見えているだけかもしれない。もはや身体的感覚を取り戻した視線などはないのかもしれない。
  しかしそこには、ハード内にパーティションを構築し、もう一つのハード内から大文字の社会との距離を一定に保ち、<ピクセルとしてのイメージ>もしくは、<ファイルとしてのイメージ>として成り変わった新たな視線がある。これがメディアが有効でありえるための、視線を変換する見えない壁であり、抜け穴ではないだろうか。この意味もなく、静寂な標本のように規則正しく整列する匿名化した世界。むしろ重要なのは、このコード化された透明に近い壁に、目を凝らすことではないだろうか。