neutron Gallery - 田中 遊 展 『メモリー・スイッチ』- 
2003/10/21Tue - 26Sun 京都新京極 neutron B1 gallery


Artist , Works

【 作家、作品紹介 】

一人芝居の製作を始めたのは、今年に入ってからです。気をつけている事は、 「こちらから押し付ける虚構ではなく、(その実、こちらが狡猾に誘導するものであらねばならないのだが)観客、個人個人の想像力によって作り出される世界を、提示しよう」と言う事です。 とかく、押し付けがましくなってしまう「お芝居」において、観客は往々にして、ただ「見物している」だけの存在になってしまいがちです。 しかし、彼等をその「想像力」を手がかりに、共に虚構を立ち上らす「共犯者」として、その世界に招待できれば、「演劇」で表現できる世界はもっと広がり、もっと、「(演劇であるからこその)特色」が出るのだと考えています。
「観客の「想像力」をどれだけ動員できるか。」 「観客の想像力をどれだけ誘導できるか。(どこまでならしていいのか。)」
この二つの問題に取り組む手がかりとして、ラジオカセットを使った一人芝居と言うのをおこなってきました。
目に見えぬ音。
いつどこでとられたのかも分からない。そして本当に自分に語りかけているのかも分からない声。
そのような音たちが、ラジオカセットから流れてきたとき、人は自然とその声の主、音の正体に「想像力」を向けるのだと思うからです。
「確かだけれど、明らかに不完全ななにか」
それが、つまり、観客の想像力を流し込むポケットとなるのだと考えています。
そして、今回。ニュートロンにおいての一人芝居では、そのポケットを、「ラジオカセットからの音」(聴覚)だけでなく、視覚的にもそのポケットを作ってみることができるだろうと考えているのです。
「ギャラリー」空間の、独特な雰囲気につられて、多くの演劇人がその舞台をギャラリーに求めてきた経緯が有ります。
それは、ギャラリーが、展示される作品を得て、「一つの世界」となる、という特性をもっている空間である事が一つの大きな要因でしょう。もちろん私たちの日常の一部である事には違いが有りませんが、すくなくとも、私たちはギャラリーの入り口から内部に入り、展示物に囲まれた時、「(「日常」と入り口でつながった)もう一つの世界」を感じずにはいられません。その、世界の奥。袋小路になったところにもう一つ扉があったとすれば。これは「ポケット」になり得るだろうと考えました。
平行に相対した鏡のなかで、「奥へ奥へ」と世界が無限に続くように、その扉の奥にはきっともう一つの世界があるはずで、その扉のむこう、壁の奥から、誰かの声が聞こえてきたなら、きっと私たちはそこへと「想像力」を注ぎ込むに違いないと思うのです。
ニュートロンのB1スペースの奥には、扉が有ります。これは「倉庫」なのだそうです。もちろん、それは「倉庫」なのでしょう。ですが、一人の男と、それを囲む壁と作品たちが、壁の前に一つの世界を作り出した時、「見えない壁の向こう側」は「倉庫」であることから解き放たれると思うのです。観客の想像力が作り出した「壁のむこう」は「外」となり「内」となり、次々とその姿をかえていくだろうと。姿をかえる「あっち」と「こっち」。「過去」と「未来」。「彼岸」と「此岸」。・・・
「確かだけれど、不完全なもの」それは「ここからは遠く離れた場所」ではなく壁一枚隔てた「隣」であるだろうと。
演技者として、「私」と「隣人」の間を行き来する私を見ながら、観客も、その想像力を以て、「舞台」と「客席」を行き来するような。そんな作品にしようと考えています。